花の都(?)パリに暮らして

日鉄住金物産欧州会社 社長
宇佐美 浩

エッフェル塔

初めに

パリ駐在の内示が出た時、自身に二つの暗示をかけることから始めた。「私はパリが好きになる」「私はフランス語が流ちょうに話せるようになる」。
フランスは、外国人観光客数が年間8千万人以上の水準での世界一を長年続けているらしい。昨今インバウンド需要に沸く日本はランク急上昇中であるが、2015年で世界16位の2千万人弱だからフランスのそれがいかにすごいかが分かる。

しかし、駐在前にプライベートや仕事で訪れた際の個人的な印象は決して良いものでなく、それ故に暗示をかけるところからスタートを切ることにした。
欧州駐在に抵抗はなかったが、住む所としてのパリやフランスにはポジティブな印象がなく、それを拭うことから始めた。

世界一美しい街パリ(除く足元)

私にとってフランスは数ヵ国目の駐在先になる。どこに住んでも長短あるが、天気の良い日のパリの景観は月並みな形容詞では表現できない。誰もが知る名所以外にも(パリ的には知名度・重要度が低くとも)他の都市に持っていけば十分に最大の名所になるであろうという場所や建物も無数にある。
しかし、この最大限の賛辞は「足元を除く」である。そこら中に散らばるタバコの吸い殻と、飼い主が片付けない犬のふん。2016年の夏は雨が続きセーヌ川が氾濫したが、なかなか水が引かなかった理由の一つは下水溝に詰まった吸い殻らしい。
また、パリには公衆トイレが極端に少ないため、裏路地や地下駐車場は尿臭が充満、時に人ふんも…。花の都パリに憧れる人の夢を壊すようであるが、全て実話である。

フランス人は英語をしゃべるか?

長期在住の日本人に聞くと、これは近年格段に改善したらしい。広く知られる「英語ができるのに話したがらない」傾向も下がりつつあるように思える。短期の観光客や出張者に言わせると「どこでも英語をしゃべる」になるが、それはホテルや一部のレストランだけの話であり、住むとなると全くそうはいかない。
まずは、フランス人に話し掛ける時に最低限のフランス語を使うことから始めた。といっても、まずBonjour、次にParlez-vous anglais? (Do you speak English?)、そこまでである。しかし、これをするかしないかで大きな変化が出て、高い確率でフランス人から英語を引き出すことができる。フランス人におけるフランス語は他国における母国語とは一段か二段上の何か別のものの位置付けにあるようである。

住環境


夏の日

フランス、特にパリは古い建物を壊すこと、新しい建物を造ることに非常に厳しい規制がある。よって「新しめ」のアパルトマンでも築年数は数十年であり、水回りを含めたメンテナンスが頻繁に必要になる。また、この修理人がなかなか時間通りに登場しない。
日本ではまず故障がなく、仮にあっても修理人が約束の時間にキッチリ来る。日本以外では多かれ少なかれこういった問題は付きものであるが、フランスのこれは「先進国」のイメージとの対比でかなりひどい。
夏にロンドンに2泊して戻ると、メーンエントランスの暗証コードが連絡もなく変えられていた。夏のバカンス時期で他の住人も少なく、郵便配達人が入るタイミングでようやく中に忍び込んだ。週末のために月曜まで新コードを知る方法もなく、土日の間、地下ガレージから車で出入りして暮らした。
真冬のある日の深夜、プラスチックの燃える異臭で目が覚めた。風呂を含めた全ての給湯元である電気給湯機のサーモスタットの故障。何度も修理を呼ぶがちゃんと直らず、ホテルやウィークリーアパートを転々とした末に引っ越した。

飛行機の預け荷物が太平洋2往復

日本から来た友人家族と南仏に旅行、パリの空港で別れる段取りだった。ところがパリの空港で出てきた荷物は友人家族のもの、代わりに日本に行ってしまったのは家内のもの。ここまではまだ「たまにある話」である。
ところが、成田からパリに返送された荷物が出てくることなく、次のフライトでまた成田に。最終的に取り返すまでに2日以上を要した。

8月

フランスを含む欧州のバカンスの「空っぽぶり」は欧州に在住経験のない人間の想像をはるかに上回る。日本の正月3日間のように人口が激減した状態が3日ではなく数週間続くのである。
フランス人のカレンダーの意識として、8月は勤務月として存在しない。ある客先から翌年1年間の発注内示を入手した。1-12月の毎月に同じ数字が入っており、それが5だとしたら年計は60のはずなのに、足し算すると55にしかならない。よくよく見るとその表には最初から8月の欄がなかった。

ドゴール将軍と田舎、ナポレオンとパリ

思いのままに書き始めたところ、対パリ、フランス、フランス人へのネガティブキャンペーンのようになってしまった。最初に暗示をかけたようにパリを好きになり、フランス語がペラペラになったかというとそうはいかなかったが、フランスの田舎とその人々を好きになり、その人たちと最小限のフランス語でコミュニケーションを取るすべは何とか身に付いたかと思う。
東京の人口の大多数は非東京出身者というが、パリの場合はこの傾向がもっと強い。ナポレオン時代に出来上がってしまったパリへの一極主義により、政治も経済も全てパリに集中してしまったのがフランスである。
地方に残っているのは農業や水産業を中心とした第1次産業、観光資源(パリにある以外の)、シャルル・ド・ゴール将軍のお墓、エアバスとミシュランの本社、およびフランスが世界に誇る原発ぐらいといわれている。
フランスのトップ30社のうちで本社がパリ以外なのは上述の2社のみ、エリートの地方出身者は仕方なくパリ近郊に住んで大手企業に勤務している。
日本人が思い浮かべるフランス歴史上の最高の英雄といえばナポレオンであろうが、実は現地ではあまり人気がない。ナポレオンの出身地であるコルシカ島ですら「出身地を捨ててパリで天下を取った」とバッサリ。
一方でフランス人が選ぶ英雄No.1はシャルル・ド・ゴール将軍で間違いないだろう。パリ国際空港にその名が冠せられており、パリ市内やフランス各地の驚くほどの数の場所に、それにちなんだ地名や通りの名前が残っている。引退後は地方の山村に身を隠すように隠居、ひっそりと亡くなった。遺言書には、「国葬は不要、勲章等は一切辞退、葬儀はコロンベ(その山村の名)で、家族の手により簡素に行うように」とあったとのことで、こうしたナポレオンとは対照的な生き方が現代のフランス人から人気を博している理由のようである。


ドゴール将軍の墓

パリ廃兵院(ナポレオンほかの退役軍人の墓)


フランス人


現代社会での特にパリにおけるフランス人は、他の欧州系、アフリカ系、中東系、アジア系、等を含む多種の人種から成るが、「田舎生まれ田舎育ちの生粋のフランス人」は、日本人が一般に抱いているイメージよりもかなり純情純朴な人種であるように思える。
そのピュアさ故に、各個人が社会に協調、迎合するより自己欲の欲するままに生きていることが、この国の社会がうまく回らない大きな要因になっているのであろう。天気の良い日のパリジャンは急に機嫌が良く親切になるが、逆の日は「パリ砂漠」と化す。
基本的には非常に気が長く、行列に並ぶ時間の長さや、飲食店でのサービスの遅さに対して寛容。その意味で交通渋滞への耐性も強いが、これは「沸点が高い」のであって、ある一定の限度を超えると一気に暴発する。

治安、テロについて

昨今のフランスや欧州を語るに当たって避けられない話題である。
過去より、日常のスリ・空き巣の類いの軽犯罪は絶えず、昨今はテロがいつどこで起こるかの不安が絶えない。後者に関しては某知人に言わせると「日本の地震の方がはるかに多くの人命を奪っており、それとの比でテロはさほどの脅威ではない」とか。ここに暮らす者として同様に考えるようにしている。
2012年5月から続く5年任期の「フランス史上最も人気がない」といわれるオランド政権の通常支持率は15%前後と極めて低いものの、テロ事件直後にはその対応が評価されて支持率を30%近くまで上げたという現象が起きたことが興味深い。2017年の選挙はどうなることやら。


革命記念日の花火

ブルターニュの夕日


飲食


フランスを含めた欧州の南方面の国々はそれよりも北の国々との比で格別に飲食の内容が良い。やはり日本同様に飲食を大事にするか? 米国のように「渇きが止まり腹が膨れればよい」の考えが勝るか?の差はあまりにも大きい。
ワインであればボルドー、ブルゴーニュ、シャンパーニュといった有名地方のものもさることながら、世界的には無名の所のものでコスパの良いものを見つけた時はほくそ笑む。食べ物に関しても「定番料理」「有名店」以外でうまいものに巡り合うと至福の時間を過ごせる。フランス人やイタリア人は飲食の話題だけで何時間も話し続けていることがよくある。

国境、通貨、文化、言語

慣れないと不思議な感覚であるが、多くの近隣諸国(正確にはシェンゲン協定加盟国)に行くフライトはパスポートコントロールのない国内便感覚(つまり域内便)になり飛行時間も2時間前後、陸路でもつながっており、多くの国でユーロ通貨が普通に通用。日本に例えたら都道府県をまたぐかのごとく国境を越えてしかも同一通貨なのに、それを越えた途端に言語も食べ物も人種構成もガラッと変わることは驚きである。
一方で、オランダ人とスペイン人の夫婦がルクセンブルクに住み、夫はドイツ、妻はフランスで働きといったケースも珍しくない。
また、国境に近い町での「いいとこ取り」も面白い。仏独の国境の町ではドイツビールで乾杯後にフランスワインに移り、前菜がフランス料理でメーンディッシュがドイツ料理という遊びもできる。

最後に

主に前半で書いた難儀なことは多いが、主に後半で書いたポジティブなことも尽きない。経済は停滞し治安の不安も続くが、駐在開始時にかけた二つの暗示のうちの、「パリが好きになる」はいまだに一定の効果を発揮しており、一方でもう一つの「フランス語が流ちょうに話せるようになる」の暗示の効果はいつまでたっても十分に出てくる気配がない。

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