2度目の駐在で思うこと —ロシア事情

三井物産モスクワ有限会社
副社長
平林 義規

再会


2008年7月3日、私はモスクワのドモジェドボ国際空港に降り立ちました。1990年7月、約2年の語学と実務の研修を終えて東京に戻って以来18年ぶり、2度目の駐在となります。前回は、ペレストロイカ末期のソ連への赴任でした。肉も野菜も店の棚には並ばず、闇のマーケットでドル取引されていました。行列があれば商品も確認せず一目散に並びました。ヘルシンキで買ったバナナを語学研修先のレニングラード大学(当時)の学生寮に持ち帰り、仲間と食べたところ「生まれて初めてのバナナだ!」と聞いて悲しくなったことが今でも思い出されます。それでも休日には友人のダーチャ(郊外の別荘)に出かけ、ウオツカと皮肉たっぷりのロシアン・ジョークで腹の底から笑ったこともありました。スターリンと共産主義が生み出した社会システムには閉口しましたが、当時の人々は物質的には貧しい中でも心に優しさと豊かさを持っていたように思います。今回のロシア駐在は、その時お世話になったロシアに少しでもお返しをしたいとの思いから志願したものでした。


変貌するロシア


再会したロシアは、かつての面影すら残さぬぐらいの変貌ぶりで、まず驚いたのは町を歩く人々の表情の変化です。かつては眉間にしわを寄せ暗い表情をした人が多く、すぐに外国人と見分けることができたのですが、今はみな穏やかな表情に変わっていました。次に驚いたことは旺盛な個人消費です。食品や日用品の価格はほぼ日本と変わらないのですが、平気で大きなカートいっぱいに買い物をしていきます。100台も並ぶ大型スーパーのレジに、買物客の行列ができる様子はまさに圧巻です。さっそうと走る乗用車も大型SUVが中心でポルシェ、BMW、ベンツなど高級車ほどよく売れます。リーマン・ショックで確かに落ち込みは見せたものの、2011年の新車販売台数は約260万台、2012年はリーマン・ショック前の280万台を回復する見込みです。1人当たりGDPが1万ドルを超えるロシア経済は、既に世界のトップ10を狙うところにきていますが、BRICsの提唱者ゴールドマン・サックスのジム・オニール氏は、2050年にはロシアのGDPは5兆ドルを超え6兆ドルの日本に迫ると予測しています。またIMFもロシアのGDPが2016年には2兆ドルを超えフランス、英国の経済規模に追い付くと予測しています。油価次第とやゆされるロシア経済ですが、ガス、石炭、鉄鉱石、ニッケルなど世界トップクラスの埋蔵量を誇る鉱物資源、広大な土地を活用した農業や林業など、この国の経済の潜在力は驚くべきものがあり、70億を超えた世界人口が毎年1億ずつ増えることを前提とすれば、これら潜在力が今後顕在化してくるものと思われます。外貨準備、健全な国家財政も高い評価を受けています。
もちろん良いことばかりではありません。汚職や透明性の欠如などは日本でもよく報道されるロシアの課題ですが、ソ連時代の庶民の行動を知る者にはさらに気になることが起こっています。渋滞を引き起す「劣悪な運転マナー」や外国人旅行者を驚かせる「行列の割り込み」など、われ先にとなりふり構わず己の利益を優先し、回りの迷惑を顧みない行動を取る人が増えたことです。特にお金持ちに多く見られるようですが、こういった権利の主張だけを行いその裏側の義務を果たさない人たちがどんどん増えていくと、社会全体の調和や最適を損なう事態に至るのではないかと心配になります。


郊外のスーパーマーケット(駐車場)


渋滞(ベラルースキー駅近く)


郊外のスーパーマーケット(レジの様子)


日本好きなロシア


日本食や日本車の人気にも驚かされます。
人口1,400万人のモスクワ圏に和食店舗が1,000軒以上あるといわれています。「やきとりや」や「銀の滝」など目抜き通りのファミレスも高額メニューにかかわらず常時満席となっています。日本のサブカルチャーも人気があります。日本大使館が主催するジャパン・ポップカルチャー・フェスティバルでは、ロリータの格好をしたモスクワっ子たちが大勢集まります(大変お似合いです)。小説では村上春樹や三島由紀夫のファンも少なくありません。また、なぜだかモスクワっ子は日本人だと分かると必ず「молодец(偉い)!」と褒めるのです。ロシアへの進出日系企業数はわずか200社弱、在留邦人数も2,200人程度とインドの在留邦人の半数にも満たないために珍しさもあるのでしょう。ただ、ロシア人が日本好きであることは間違いありません。一方残念ですが、「ロシア人は日本好きだ!」ということはあまり日本では知られていません。


目抜き通り(トベルスカヤ通り)の
「やきとりや」


ジャパン・ポップカルチャー・フェスティバルに
参加するロシアの女性


高級スーパーの棚に並ぶ日本食


東へ!!


こんなロシアが本気で東を向き始めています。言うまでもなく、ロシアは最も近い日本の隣国の1つ。中でもウラジオストク(「東方を治める」の意味)は東京から直線距離でおよそ1,000kmと最も近い町です。このウラジオストクで2012年9月にAPEC首脳会議が開催されます。会場となるルースキー島の開発、市内と島を結ぶつり橋、空港、幹線道路、ホテルなどまさに町中が建設ラッシュです。東シベリアからの石油パイプラインやサハリンからのガスパイプラインの建設も進んでいます。巨額な資金が極東のインフラ整備に投入されているのです。APEC会議招致を含め、これら極東・東シベリア開発計画を推進したのは、5月に大統領復帰を決めたプーチン首相です。人口減少を続けるこの地域に産業を誘致し、雇用を創出したい。強みである天然資源に付加価値をつけてアジア諸国に輸出することで、アジアの成長を取り込みたい。これがロシアの夢、そして10年以上にわたるプーチン首相のライフワークのように思えます。欧州経済への依存度を下げなければ、ロシア経済の成長も影響を受けるとの危機感ももちろんあるでしょう。ただし、この壮大な計画は一朝一夕になるわけではありません。ロシアの苦手な技術力や豊富な資金力も必要となります。今まさにロシアはパートナーを必要としているのです。


近くて近い国へ


日本にとってロシアは近くて遠い国だといわれています。もともと北方領土という両国間の課題がある上に、お互いに今まで相手のことを知る努力を怠ってきたように思います。しかし今回の駐在を通じて少しずつですが変化を感じています。ロシア経済の変貌とともに日本企業にとってのロシア市場の魅力が増し、自動車産業をはじめとする日本の製造業が、真剣にロシアとの取り組みを始めているのです。東日本大震災という大変に悲しい出来事を契機に原油やLNGの取引もさらに拡大しています。マスコミも以前に比べ適時に的確かつ豊富なロシアに関する情報提供を行っています。そしてプーチン首相が5月から大統領として戻ってきます。もちろん、大変に厳しい交渉相手ではありますが、柔道を愛する知日家で、真剣に東を向いているリーダーであることに間違いはありません。ロシア進出を検討する日本企業にとってWTO加盟も好影響を与えるでしょう。また、ガス化学や石油化学、LNG生産など天然資源の加工やマーケティングといった分野での日露の協力関係強化も可能になると考えています。もちろんビジネスだけでなく学生、研究者、旅行者など、国民レベルでの重層的な交流を活発にできるようになれば、さらに相互の理解が進むものと思います。そのような環境の中で、課題の解決策も見つかるのではないでしょうか。


おわりに


ウラジオストク市内、橋梁建設現場

「日本にないものは全部ロシアにある。そしてロシアにないものは全部日本にあるんだ」。
 実務研修の時に一緒に仕事をしていた先輩がうそぶいて教えてくれた言葉です。今はあながちうそでもないな、と感じるようになりました。日本の商社に勤め、縁あって2度目のロシア勤務となった機会を生かし、日露の絆が一層強くなるよう日々の業務を通じ頑張ろうと気を引き締めているこのごろです。

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