機会を与えてくれた国・インドネシア

PT. JFE Shoji Trade Indonesia
社長
関戸 孝純

1. はじめに


ジャカルタの高層ビル


ジャカルタの渋滞


個人的な事情からのスタートとなりますが、私は2016年8月よりインドネシアの首都・ジャカルタへ赴任しました。駐在期間はまだ1年弱ですが、今回、執筆の機会をいただきましたので、初心者としての視点で感じたインドネシアという国と、そのマーケットについてお話ししたいと思います。

21世紀はアジアの時代といわれて久しいですが、中でもインドネシアは今後の発展が大きく期待される国であると考えています。人口2億5,000万人の若く強力なパワー、東西5,100kmにも及ぶ約200万km2もの広大な国土、そして1万8,000もの島々。これらは、今後の経済発展に向けた大きな潜在力といえるでしょう。中でも、インドネシアの人口構成は実にきれいなピラミッド型を維持しており、年間約1.3%の人口増加傾向が続いています。特にジャカルタという大都市だからこそいえることかもしれませんが、街には若者が多く、非常に活気があるのも特徴です。今後20年以上は、いわゆる「人口ボーナス期」が続くと思われます。そして、人口増加と経済成長が両輪となり進むことで、世界経済におけるインドネシアのプレゼンスがますます向上することが期待されます。
一方、課題として残っているのは、経済発展を支えていくための政治的安定です。前ユドヨノ大統領が2014年10月に任期を終え、現ジョコ・ウイドド大統領政権下、さらなる民主化への取り組みを進めています。そんな中、200以上の言語と人種を持ち、「多様性の中の統一」を国是とするインドネシアでは、いかに民主的な政治的安定を保持するかが、経済発展を支える上でとても重要であると考えています。というのも、私自身もわずか1年弱の駐在期間に、政治的デモによって交通網が一時的に遮断されるという事態に何度か見舞われました。緊急で社員を帰宅させなければならず、この出来事から「政治的不安定は経済の停滞をもたらす」ということを体感しました。この国がさらなる発展を遂げるためにも、こうした政治的不安定の解消が欠かせないということを強く感じています。


2. 日系企業の進出


インドネシア政府は2005年より、外国からの投資実行額を発表しています。日本からインドネシアへの投資額は非常に高いレベルを維持しており、2015年までの10年間、ほぼ毎年ベスト3に入る規模となっています。2006年と2013年には、第1位の投資額を記録しました。
この投資額に準じて、日系企業の進出も増加してきました。現時点では、推定2,000社を超える日系企業が進出しているともいわれています。この数値は、中国やタイにはまだまだ及ばないものの、ベトナムやマレーシアへ進出する日系企業の数を上回っています。
特にここ数年、伸長著しいのが二輪車や四輪車などの車両関連への投資で、2012-15年の日系企業投資金額のうち、車両関連が占める割合は70-80%に及ぶともいわれるほどの規模を誇ります。


3. 車両産業における鉄鋼商社としての取り組み


伸線加工製品

前述のように、インドネシアには多くの車両関連の日系企業が進出しており、インドネシアのマーケットにおいて圧倒的な存在感を見せています。2016年には、二輪車の年間販売台数約590万台のうち、日系企業のシェアは99%以上を誇り、四輪車の年間販売台数106万台のうち、日系企業のシェアは95%を超えました。各部品メーカーの投資・進出によって、サプライチェーンが確立されてきています。1人当たりのGDPは、2011年には二輪車から四輪車に乗り換える目安といわれる3,500ドルを超え、さらなる伸長も期待されています。
このような状況下、鉄鋼商社である当社は、同じくインドネシアに進出するグループ内の鋼材加工センターと連携を図りつつ、サービス機能をより一層高め、供給網の一翼を担うことが喫緊の課題となっています。自動車用鋼板の加工製品のみならず、部品として欠かせない線材製品等においても、単に製品を供給するだけでは意味がありません。提供するサービスを機能的・品質的にいかに高め、お客さま要望を満たしていくかを、サプライヤーである現地パートナーと協議を重ねつつ、駐在員とナショナルスタッフが一緒になって日々奮闘しています。


4. 通貨ルピアとのお付き合い


インドネシアの通貨「ルピア」

インドネシアでビジネスを展開する上で、ルピアとの付き合いは避けて通れません。実は、インドネシア国内におけるビジネスの決済には、インドネシアルピアの使用が義務化されており、ドルなど外貨での決済は認められていないのです。一方で、決算上の計上はドルのため、ルピアの動向によって会計上の売り上げや利益は変動してしまいます。
1997年8月にインドネシア中央銀行は、それまでの介入相場制度を廃止し、変動相場制に移行しました。そして、スハルト政権末期の1998年暴動でルピアは1ドル=2,200ルピアから1万5,000ルピア程度まで暴落。その後、2000年以降は経済成長率が着実な上昇基調となり、インフレ率が安定するとともに、2011年中頃まではルピアも安定的に推移しました。しかしながら、2011年8月に外貨準備高が1,246億ドルを記録してからは反転し、ルピアは下落傾向へ陥りました。2011年末時点では1ドル=9,670ルピアでしたが、2013年末には1ドル=1万2,189ルピア、2014年末には1ドル=1万2,436ルピア、そして2105年末には1ドル=1万3,795ルピアへと推移。ルピアは原則インドネシア国内でしか流通せず、市場規模も小さいことから、偶発的な問題が発生すると乱高下することがあります。2016年の米国大統領選後のルピア安もその一例といえるでしょう。
ルピアをどのように捉え、どのように想定していくべきなのか。非常に難しい問題ではありますが、ルピアとの付き合いが避けられないことも、インドネシアでビジネスを展開する上での大きな課題となっています。


5. 最後に


ボロブドゥール遺跡

再び個人的な話になりますが、今回のインドネシア駐在は、会社生活24年目にして初の海外赴任です。それまでも出張では、東南アジア各国をはじめ、中国や韓国、台湾、米州、中東など、世界各国のさまざまな地域を訪問してきましたが、実は入社7年目の頃、初めて海外出張したのも、ここ、インドネシアだったのです。20代の頃に初めて出張した地に、駐在員として初めて赴任するということに、なんだか強い縁を感じてしまい、この国への愛着を覚えました。
初めて海外出張した15年以上前のインドネシアは、世界遺産であるボロブドゥール寺院遺跡やプランバナン寺院遺跡に代表されるように、歴史を感じさせてくれる国という印象が強く、現在のような高層ビル群や道路も整備されていませんでした。今でこそMacet(マチェッ)=渋滞の都市として世界的に有名となっているジャカルタですが、当時の自動車の台数はそれほど多くなかったと記憶しています。2017年を迎え、依然として名所旧跡は大切にしつつも、あの頃に比べると、街の表情は大きく様変わりしています。
今までも、会社人生において巡り合う「機会」というものは非常に大事だと感じることが幾度となくありましたが、今回のインドネシア赴任も、自分自身を高めるための貴重な「機会」として、大切にしていきたいと考えています。そして、その機会を与えてくれたこの国に、鉄鋼流通という分野からではありますが、少しでも貢献できるように尽力していきたいと思います。

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