ナンドリー チェンナイ

Inabata Europe GmbH 副社長
(Inabata India Private Ltd. 前会長 兼 社長)
大場 憲一

プロローグ


2011年の夏にバックパッカーだった学生時代を思い出しながらインドのチェンナイに到着しました。灼熱(しゃくねつ)の太陽が降り注ぐ海辺の都市への駐在で若干緊張しながらも、これから始まる新しい生活に胸が高鳴っていたことをよく覚えています。あれから早くも10年が経過し、任期満了を迎えてしまいました。チェンナイという土地で巡り合えた良き同僚、良き顧客、良き友と別れるのは寂しく、残念な気持ちでいっぱいですが、また世界のどこかで再会できる日を楽しみに、新しいミッションに全力で取り組んでいきたいと考えています。限られた誌面ではありますが、チェンナイ、インドでの思い出の数々をご披露させていただきたいと思います。


公式行事への参加


安倍前首相(左)とモディ首相(右)

日印国交樹立60周年を記念して翌2013年に天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)が来印された際、ご挨拶させていただく機会をいただきました。毎年8月にインドの国会で日本の原爆犠牲者に追悼の意を表していることに対し、天皇陛下が感謝の意を伝えられたことが印象に残っています。

私も1−2分ではありますが皇后陛下と直接お話をさせていただく機会をいただきました。インドでの仕事の内容等を簡単ではありますが説明させていただき、ねぎらっていただきました。両陛下ともに招待客全員との歓談が終わるまでおよそ90分立ち続けておられ、参加者一同、さぞかしお疲れになったのではと心配していました。

2017年には、安倍前首相ご夫妻がモディ首相の生誕の地であるグジャラートを訪問された際の式典に参加させていただきました。式典の中で安倍前首相は、祖父である岸元首相が1957年にインドを訪問した際のエピソードを披露されました。当時のネルー首相から「自分の最も尊敬する国である日本から来た首相」と国民に紹介され、賞賛を受けたと。その話を岸元首相の膝の上で聞いていた安倍前首相は敗戦国の指導者として祖父はどれほどうれしかったであろうか、と感じられたそうです。私もインドの人々と永遠の友達でありたいと発言されたときには会場に大きな歓声が響きわたりました。改めて歴史をひもとき、戦前、戦後にわたる両国の深い歴史に胸を打たれました。

さまざまな事件、災害の発生

100年に一度といわれる大洪水が2015年12月にチェンナイで発生し、300人近い方がお亡くなりになりました。飛行場も閉鎖され、出張にきていた弊社の役員は洪水の中、決死の覚悟でバンガロールまで陸路で移動し、帰国の途に就きました。携帯もインターネットもつながりにくい中、私のアパートも停電してしまいました。冷凍してあった食材の危機を察知し、日本から運んだ肉を持ってお客さまの高級?サービスアパートに避難し、数日間、毎日宴会をしていたのも良い思い出です。当時チェンナイに住んでいた小説家、石井遊佳さんが『百年泥』を執筆し、芥川賞を受賞されています。

コロナ禍のインド


ロックダウン中の駐在員仲間との飲み会

インド政府は2020年3月後半の金曜日に明後日の日曜日限定のロックダウンを急きょ決定し、実行に移しました。そしてその一日が終わる頃には、これからのインドの21年間を救うため21日間のロックダウンを実施しようとの力強い声明が発表されました。出歩いた人間がむちでたたかれたり、失業した都市部の労働者が灼熱の太陽の下を歩いて田舎に帰ったり、全部真実の話です。

弊社のチェンナイ拠点でも多くの日本人駐在員が日本に避難しましたが、私を含む残留組でZoom飲み会を立ち上げました。ほぼ毎日実施し、年末まで続いたかと思います。チェンナイではお酒も買えない状況が長らく続いていましたが、多くの避難者の方に家を開放していただき、お酒や食材をみんなで分け合っていました。床屋も閉店していましたので、みんなで散髪し合っていました。

感染者数が減少し、楽しい生活が戻りかけたチェンナイですが、私の離任以降、爆発的な感染が起こり、またロックダウンが始まっています。この月報が発行される頃には大きな改善が進んでいることを祈っています。

その他にも、高額紙幣が突然使用停止になったり、巨大サイクロンによる町中の氾濫、停電でカードも使用不可となり銀行で両替に長時間並んだり…。一人だとつらくて大変なことをみんなで助け合って乗り越え、その瞬間瞬間に絆が深まりました。

マラソン大会


ラダックの船下り

チェンナイに赴任後、最初の健康診断で糖尿病診断を言い渡された私は、何を思ったかマラソンを始めることを決意し、CMC(チェンナイマラソンクラブ)に入会。毎週水曜日は夜の海沿いを仲間と走り、そのあとビールを飲むという生活が始まりました。CMCの仲間や会社のスタッフとインド、欧州の大会を走りまくりました。10年間のインド滞在中、ラダックマラソンは合計4回参加しました。標高3,700mの高地を走るため高山病が少し心配ですが、あの青い空にそびえるヒマラヤに浮かぶ雲、ラダックの人々との触れ合いが感じられる素晴らしい大会です。

ラダックは走らなくとも十分素晴らしいところです。ゴンパ(チベット寺院)観光、自転車での5,000mからの滑降、船下りと何回行っても飽きがきません。

CMCの仲間と行った初めての海外遠征、アテネマラソンも忘れられない思い出です。マラトンからアテネ古代競技場までのコースでアップダウンが多く6時間もかかり完走しましたが、撮ってもらった写真には充実感が満ちあふれているようです。

マラソン、仕事、人生、厳しいときもあるけれど成し遂げたときの充実感は最高です。精神的にも強くなれるような気がします。そのような思いを味わってもらいたく、チェンナイのスタッフに距離は自由ですがマラソン大会への参加を義務化したのはやり過ぎでしょうか? 大会参加後の家族も集めての食事会もみんな楽しみにしてくれていたと信じることにします。


アテネマラソンの完走後(筆者:左)


社員皆で走ったデリーハーフマラソン


ゴルフ同好会


これがなくしてチェンナイ生活は始まりません。毎週日曜日、Guindyという1880年代に開場した歴史だけは古いゴルフ場に集合です。来るもの拒まずがゴルフ同好会のポリシーで、仲間づくりには最適です。ゴルフの後は韓国鍋をつつきながらの宴会が延々と続きます。夕方に帰宅し、一晩ぐっすり寝れば疲れも取れ、月曜日からの業務にまい進する活力が生まれてきます。野良牛がいたり、芝がなかったり、ゴルフ場としては最低ですが、インドのセントアンドリュースといわれています。

ほぼ毎月開催されるゴルフ遠征も大きな楽しみです。バンガロール、プネ、コインバトール、デリーといったインド国内だけでなく、タイを中心とする東南アジア、スリランカ、遠くはモーリシャスまで出掛けました。気心知れた仲間との旅はいつまでも思い出に残ります。多くの仲間がすでに帰国していますが、日本でも復員兵の会として毎月コンペが開催されています。いつまでたってもチェンナイを忘れられない仲間が大勢いるんです。

モルディブ旅行


マーフシ島にて

日本からだと遠くて高いモルディブですが、チェンナイから直行便に乗れば2時間強で首都マーレに到着します。向かうのは高速ボートで1時間弱のマーフシ島です。この島は一般の人々が暮らす島で、お酒が飲めないのが残念ではありますが、休肝日を兼ねて4回ほど訪れました。男同士でのモルディブ旅行、意外に楽しくビーチ生活を満喫しました。リゾートのホテルではありませんので1泊5,000円程度で宿泊できます。皆さんもコロナ明けにいかがでしょうか?


創立10周年のPARTY


タージマハルにて

2018年に会社創業10周年のPARTYをタージマハル近郊で行いました。グルガオン、チェンナイ、プネ、アーメダバードのスタッフが集合し、全員で今までの苦しかった道のりを振り返るとともに将来に向けてのさらなる成長を約束し合いました。

わずか1人のスタッフを当時のデリー事務所(現在は閉鎖し、グルガオン事務所に統合)で採用することからスタートしたインドの拠点ですが、現在では4拠点、30人を超える仲間ができました。その後の夜を徹したダンスPARTY、翌日のタージマハル観光も大いに盛り上がり、私自身、今までの苦労が報われた感じがしました。

エピローグ

会社全体で参加したマラソン大会、駐在員仲間で行ったバンコクへのゴルフ旅行、仲のよい顧客の皆さまと行ったモルディブ旅行、ネパールヒマラヤ遠征、秘境ブータンへの旅、等々思い出を挙げればきりがありません。よくも悪くも公私の区別がつかない生活をチェンナイで120%エンジョイさせていただき、お付き合いくださった皆さま、スタッフ全員には感謝の気持ちでいっぱいです。

すでにチェンナイの地を離れ新しい拠点にて執筆中ではありますが、チェンナイでの経験、思い出を大事にしていきたいと思っています。お世話になった皆さま、ありがとうございました。

ナンドリー チェンナイ!!

*ナンドリーはタミル語でありがとうの意味

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