中欧の古都 ウィーン

HANWA EUROPE B.V. VIENNA BRANCH
所長代理
黒坂 竜志

はじめに

皆さまはウィーンと聞いて何を想像されるでしょうか。

駐在辞令を受けた時の私にはウィーンの具体的なイメージがなく、緑豊かな音楽と芸術の都…?くらいのざっくりした感じでした。当地に赴任して1年半となりますが、今回このような機会をいただきましたので、オーストリア、ウィーンの歴史・文化・生活環境について一般市民の目線でご紹介させていただければと思います。


シェーンブルン宮殿(筆者と長女)


オーストリアという国


オーストリアは民主主義に基づく共和国で、欧州の心臓部に位置しています。面積は8.4万㎢と北海道とほぼ同じ大きさ。人口は877万人で大阪府と同じくらい。公用語はドイツ語、国民の98%がドイツ語を母国語としています。

宗教は約64%がカトリック教徒、5%がプロテスタントで、他はイスラム、ユダヤ、ギリシャ正教など。永世中立国であり、NATO非加盟国。EUへは1995年に加盟し2002年にユーロ通貨を導入。2018年の名目GDPはEU内で9位の経済規模、1人当たりGDPはEU内で6位と、比較的生産性の高い国といえます。

2020年は残念ながらコロナパンデミックの影響により他国にたがわず大きな経済的打撃を受けることが予想されますが、2019年までの直近5年で見ると、実質GDPは毎年2%前後で成長しており、失業率も5-6%と安定しています。

特に近年のビジネスシーンにおいては、300社以上の外国企業がオーストリアに中東欧統括本部を設置、ウィーン空港が中東欧向けハブ空港化するなど、中東欧へのゲートウェイとしてイノベーションと技術開発拠点の地位を確立しつつあります。

オーストリア人について

オーストリア人の印象は、良くも悪くも誇り高く、「世界の中心は自分、正しいのは自分」という感じで、自己主張をはっきりされるのが特徴です。謙譲や自己犠牲を美徳とする日本人とは異なるところです。

トラブルが発生した時、日本人的感覚では謝罪がマストな局面でも、そうやすやすとは謝ってもらえないし、謝ってもらえたとしても余計な一言が入る場合が多いです。半面、終わったことは引きずらない人が多いです。

また隣国ドイツとひとくくりにされることを極端に嫌がる傾向にあり、そのあたりの話題を振る際は覚悟が必要です。国内においても主にウィーンとその他地方でけん制し合っており、「ウィーンの外の人間は方言が強くて言葉が通じない」とか、「ウィーン人は高飛車で鼻持ちならない」というのはよく聞きます。

それを補って余りある良い部分は、子どもやお年寄りに対してとても親切なところです。私も4歳と1歳の子を持つ父親ですが、満員電車で子どもやお年寄りを見ると、みな協力してスペースをつくってくれます。駅の階段の前でオロオロしていると、数秒後には必ずバギーを運ぶ手助けをしてくれる人が現れます。また場所にもよりますが、レストランなどで居合わせた人も子どもが騒ぐのは当然といった感じで優しく笑顔で見守ってくれることがほとんどです。この点に関しては、日本は見習うべきと思います。

オーストリアの首都ウィーンってどんなところ?


グラーヴェン(中心地の街並み)

九つの州から構成される連邦国家オーストリアの中で、ウィーンは連邦の首都となっています。人口は約190万人で日本の札幌市と大体同じくらい。またウィーン州は23区から構成されています。東京と同じですね。

中心である1区の緑豊かで情緒ある現在の街並みは、国父と敬愛される実質的な最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が、19世紀後半にそれまで防衛のために市街を囲っていた市壁を解体しリンクシュトラーセと呼ばれる環状道路とトラムを導入したことにより形成され、リングとその内側の旧市街はユネスコ世界遺産に登録されています。旧市街の中央にそびえ立つシュテファン大聖堂は12世紀から3世紀にわたる歳月をかけて建造され、その周辺にはゴシック、バロック、歴史主義、アール・ヌーヴォーなどさまざまな時代の建造物がひしめき合っています。

ある人事コンサル会社が発表する駐在員の生活環境の都市別ランキングで、ウィーンは10年間連続で1位を獲得しています。社会保障制度の充実と公共交通機関などの都市整備が非常に進んでいることが要因とされています。医療費は全て税金で賄われており原則無料。教育費も大学まで無料で、一般教養に職業訓練を織り込んだ実践的な教育カリキュラムになっています。トラム、バス、地下鉄などは全て統一のチケットで乗車可能で、ウィーン市内であればなんと年間365ユーロでそれら全てが乗り放題です。また退職金・年金制度や子ども手当、それらに関連する減税等も他欧州と比較しても手厚く効率的な制度設計が成されていると感じます。


ハプスブルク家の栄華とウィーンの歴史


ウィーンの歴史や文化に触れる時、ハプスブルク家はどうしても無視できないでしょう。

10世紀のスイス中東部ライン川流域が発祥とされるこの一家は、13世紀からはオーストリアを拠点に中東欧、ネーデルラント、スペインなどに支配を拡大、一時は中南米やアジアにも領土を獲得します。15世紀以降には、神聖ローマ帝国皇帝位を代々世襲します。19世紀初頭の神聖ローマ帝国解体後は、後継のオーストリア帝国の皇帝となり、第1次世界大戦後にその終焉(しゅうえん)を迎えるまで、実に650年にわたり広大な領土と多様な民族を統治した欧州随一の名門家です。

「汝(なんじ)、オーストリアを結婚により幸せにすべし」が家訓とされているほど、戦いよりも政略結婚による所領獲得で繁栄した一家といわれています。

13世紀に当時の神聖ローマ帝国皇帝に選ばれたルドルフ4世をはじめとし、最後の男系君主で女帝と呼ばれ、16人の子だくさんで知られるマリア・テレジアや、その末娘でフランスのブルボン家に嫁ぎ、後にルイ16世の后(きさき)となるも、最終的にフランス革命で処刑されたマリー・アントワネット、そして前項でも取り上げた最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と、その妻でシシィの愛称で慕われる悲劇のヒロイン、エリザベートなどなど。

より細かな史実や歴史的考察は専門家にお任せするとして、これら人物にまつわる建造物や美術品、題材となったオペラや楽曲など芸術作品は枚挙にいとまがありません。

ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンやシューベルトなど名だたる音楽家たちがこの地に集結し、音楽の都として現在に至るまでクラシック音楽のシーンをけん引しているのも、ハプスブルク家の繁栄の中で、ウィーンが中欧の都であり続けたことが大きな要因といえるでしょう。当地観光の際にはこの背景を少し把握しておくと、より一層理解が深まり楽しんでいただけると思います。


オペラハウス


ウィーン・フィル本拠地のウィーン楽友協会


ウィーンの食文化


シュニッツェル

当たり前ですが、周りに海がないので牛・豚を使った肉料理が主となります。子牛・豚肉を薄くたたいたカツレツ「シュニッツェル」や、牛肉を野菜と長時間煮込み、リンゴのソースと西洋わさびでいただく「ターフェルシュピッツ」は一度経験されることをお勧めします。


オーストリアワイン(Grüner Veltliner)

3-6月にかけて旬となる白アスパラも美味です。また、それら郷土料理に合うオーストリアワインは特にお薦め。GrünerVeltliner(白)やZweigelt(赤)といったオーストリアの固有品種があります。気候的に寒暖の差が激しいことと、北方からの冷たい風とハンガリーからの乾いた熱風、そして地中海からの湿った暖かい風が交差する関係でワイン生産の諸条件が整っており、ウィーンを含むオーストリア東部の4州で生産されています。何よりスーパーに行けば安価で質の高いワインが手に入ることは、ワイン好きにはたまらない環境です。またワイン居酒屋を指す「ホイリゲ」や、秋を告げる飲み物である「シュトゥルム(ワインになる前の微炭酸グレープジュース)」などもぜひお試しください。日本食レストランに関しては残念ながら他の欧州の国々に比較しても選択肢が少ないですが、自分で作る分には一通りの食材や調味料はそろえられる環境です。


駐在員の生活環境


夏は35℃以上でカラっと暑く、冬は最低-5℃ぐらいですが風が強いので体感的にはもっと寒く、年間を通して朝晩の寒暖の差が大きいという気候ですが、ポイントを押さえれば過ごしやすいです。また治安は良く、夜中に出歩いても危険に感じることはありません。

緑や公園が多くて、日本人学校もあるので安心して子育てできる環境です。

交通機関は整備され時間も正確で、困ることはありません。車の運転も特に問題なく駐在員の大半は日常的に運転している方々ばかりです。

私自身の業務は欧州全域から日本への木材製品の輸出ですので、仕事柄オーストリア国外を出張で飛び回りますが、ウィーン空港に帰ってくると、どこか故郷に帰ってきた気分になることがあります。ウィーンはすでに私にとって第二の故郷となっているのかもしれません。以上、書き連ねてきましたが中欧の古都ウィーンに関して、少しでも皆さまの参考になれば幸甚です。2019年に日本との国交樹立150年を迎え、友好関係にあるオーストリア。

今後も多くの日本人の方が当地を訪れ、歴史や情緒ある街並み、そして文化を体感されることを願っています。

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