緑の国アイルランドの今日

KG Aircraft Rotables Co., Ltd.
Financial Controller
鈴木 啓吾

はじめに


ギネス工場でギネスの注ぎ方を学ぶ筆者

日本ではなかなかなじみが薄い欧州の最果てアイルランド。その首都ダブリンに兼松が2002年に設立した民間航空機向け部品商社に2018年の7月に赴任した。素朴な街の雰囲気、人懐っこい地元の人々、街のどこからか必ず聞こえてくるアイリッシュミュージック、豊かな自然。まだまだ赴任したばかりの身であるが、アイルランドおよびダブリンの今日の情報や魅力をご紹介したいと思う。


歴史


先にアイルランドの歴史について簡単に触れておきたい。外務省のホームページで紹介されている略史を以下の表に引用させていただく。

1949年に英連邦を脱退し、独立国家となっているものの、長らく英国の植民地であった歴史がある。特に現在でも英国領となっている「北アイルランド」を巡っては、独立後も英統治を望む支配層のプロテスタント系と、アイルランド併合を望むカトリック系が30年以上にわたって激しく対立し、3,500人以上がテロや暴動などの犠牲になっている(爆発事件は1万回以上)。1998年のベルファスト合意によって和平合意がなされ、その後の国民投票により、アイルランド共和国は北アイルランド6州の領有権主張を放棄することになったが、現在でもこの地域の帰属を巡ってはさまざまな国民感情があるといわれている。アイルランドのバラッカー首相は、英国とEUが離脱交渉を始めた頃から、「アイルランド島を北と南に分ける国境を設けてはいけない」とEU内で主張して積極外交を展開し、加盟国の支持を得てきた。英国のEU離脱に向け焦点となっているこの国境問題が平和に着地することを願うばかりである。

12世紀イングランド(現在の英国)による植民地支配開始
1801年英国がアイルランドを併合
1916年イースター蜂起(独立を目指す武装蜂起。英国により鎮圧)
1919-1921年対英独立戦争
1922年英連邦内の自治領アイルランド自由国として独立。北部6県(現在の北アイルランド)は英国領にとどまった
1949年英連邦を離脱。アイルランド共和国になる
1955年国連加盟
1973年EC(後のEU)加盟
1998年アイルランドと英国間で北アイルランドに係る和平合意(通称:「ベルファスト合意」)成立
1999年ユーロ導入(ユーロ創設メンバー)

概況

アイルランドの人口は約480万人、ダブリンの人口は約130万人。温厚な国民性も手伝って、欧州の中では比較的治安が良い方であるせいか、さまざまな国籍や背景を持った人たちが暮らしている。アジア系は少ない方で在留邦人は約2,300人。国の面積は約7万k㎡で北海道より一回り小さい大きさ。共通言語は英語、だが早口で独特なアクセントや表現を使うこともしばしば。例えばHelloやHiと同じ意味でHiya(ハーイヤ)と挨拶したり、Nice/Fine/Thank youなどの代わりとしてLovelyが使われたりする(後者は英国でもおなじみ)。2017年のGDPの伸び率は7.2%とEU加盟国トップで、1人当たりGDPは約7万ドルと世界第4位にランクしている。現在、アイルランドには、外資系のグローバル企業が1,350社以上進出し、AppleやGoogle、Facebook、Twitter、Indeed、トレンドマイクロ、PayPalなどをはじめとした情報通信技術企業、金融テクノロジー企業の多くが拠点を置いており、それら企業がGDPを押し上げている。また、英国のEU離脱対策として、欧州の拠点を英国からアイルランドに移すことを公表している企業の数はすでに50社近くにも上る。日系企業では商社、銀行、リース会社(航空機)、医薬メーカーなど約30社が拠点を置き、日本人約70人が駐在している。各国がアイルランドに投資する背景には、法人税率12.5%、共通言語が英語であること、充実した研究開発費用支援制度、欧州市場へのアクセス、若い労働力(総人口に占める25歳以下の割合が3割で欧州一)などが挙げられる。外資系企業の積極的な誘致に取り組んだ結果、堅調な経済成長を続けているアイルランド経済であるが、貿易面は総輸出額の12%(食料分野に関しては40%)、総輸入額の23%を英国に依存しており、アイルランド中銀によれば、合意なきブレグジットは3%のGDP低下を招き、今後10年で4万人の失業者を生むともいわれている。

気候と暮らし

よくアイルランドはとても寒いのではないか?と聞かれるが、そこまで寒いわけではない。日本より北にあるが、気温は暖流の影響により年を通して5-20℃程度の日が多く過ごしやすい。冬は日照時間が短くなるため活動が制限されるが、夏は充実したアフターファイブを過ごすことができる。雪はめったに降らないためウインタースポーツは海を渡らないとできない。雨は常に降ったりやんだりするため傘を差さない人が多く、代わりに雨や風よけ用のナイロンジャケットが必需品となる。欧州全般にいえることかもしれないが、生活環境で特徴的なのは「お湯の供給」。大概の家(含むアパート)には貯水タンクが設置されており、ボイラーで水を温めて「お湯」として使うシステムが一般的。電気代が昼と夜で倍近く異なるため、夜のうちにお湯を温めておくのがベスト(ちなみに水道代は無料)。困るのは風呂を沸かしてからシャワーを浴びているとタンクのお湯がなくなり徐々に冷水になってしまうこと。早めにブースト(高速で、といっても30分かけて温めるシステム)しておかないと残念なことになる。

物価

最低時給が9ユーロというだけあって生活費は高めの印象。外食をすればランチ1食10-15ユーロ程度。PUBで飲むお酒は1杯5-7ユーロ。誰もが高いと口をそろえて言うのは家賃。企業の進出に住宅の供給が追い付いておらず、家賃は毎年上昇を続けており、ホームレスを生む原因にもなるなど社会問題と化しているほど。ホテルも多くはないため、観光客が増える夏のホテル代は急騰し出張者泣かせの金額となる。一方、食材にかかる税金はかなり安く抑えられているので、スーパー(アイルランド系Dunnes Stores、英国系Tescoやドイツ系Lidlなど)で買いそろえられる野菜や肉などの食材は日本より安い場合が多い。また、携帯電話の料金はキャリア次第で月額20-30ユーロに抑えられるためこれも日本より安い。ちなみに、Irish Timesによれば、アイルランド内のスーパーマーケットで陳列されている商品の3分の2は英国または英国陸路経由でEUから輸入されており、ブレグジットを踏まえた価格および商品配達スピードへの影響が懸念されている。

交通インフラ

ダブリンの中心地は交通渋滞がほぼ毎日発生する。筆者は市内中心部に住み、中心部の外にあるオフィスへ出勤しているため渋滞に巻き込まれずに済んでいるが、反対車線の渋滞は果てしなく続いている。公共の足としては、DART(ダート)と呼ばれる近郊電車や、2004年からは路面電車Luas(ルアス)が開通している。赴任前に初出張で来た際、通勤にLuasを利用して日本の地下鉄さながらの満員で驚いたのをよく覚えている。街中至る所に停留所が設置されている2階建ての市バスも市民の貴重な足だ。渋滞緩和やCO2削減、健康促進などの目的のため、Cycle toWork Schemeなる自転車利用制度が奨励されており、自転車通勤する人も多い。このスキームを利用すると、自転車購入の際の税金が控除されるので、割安に自転車を購入できるという仕組み。空路はLCCの先駆けであるライアンエアーと老舗エアラインのエアリンガスが欧州全域に多くの便を運航しており、欧州出張に手軽に格安で行くことができる。これも外資系企業を引き付ける理由の一つだろう(エアリンガスは米国主要都市にも結構な数を運航している)。荷物重量制限が厳しかったり遅延は日常茶飯事だが、値段を考えれば仕方ないかと思えてしまうようになるから自分もだいぶこちらの生活になじんできたのだと思う。また、ダブリン市街から空港までは車で20-25分と近いのも便利。空港と市内を往復巡回するリムジンバスもある。リムジンバスのナンバーは「747」「757」。アイルランドにとって航空機関連産業が身近に存在することを感じさせる。


ダブリン空港の入り口


ダブリン郊外キルデア州の公道


ダブリン市街の街並み


路面電車Luas(ルアス)とその横を走る市バス


観光地として有名なテンプルバーエリア


大人気の老舗PUB


PUB文化


お酒と音楽とおしゃべりが大好きなアイルランド人の生活の一部となっているのがPUB。ダブリン中心部のリフィー川沿いに位置する観光地としても有名なテンプルバーエリアには人気PUBがひしめき、いつでも昼からにぎわっている。

モダンなPUB、個性の光るPUB、1700-1800年代から続く伝統的なPUBなど種類もさまざまで、PUBそのものが観光地というのも納得がいく。カウンターでオーダーをしている最中に、気さくでフレンドリーなアイリッシュから話し掛けられることはよくあり、ローカルな交流を楽しむことができるのは良いところ(ただし、何を言っているか聞き取れないことも…)。少し驚いたのは、PUBの中には食べ物を一切扱っていない店も多く、つまみもなく延々と2杯3杯と飲み続けることも珍しくない。日本的感覚としてこれは時としてつらいが、郷に入っては郷に従う。

さて、せっかくなのでPUBで飲むお酒を幾つか紹介したい。

ギネスビールについては説明不要と思うが、こちらに来て「おいしい飲み方」を学んだのでご紹介する。適温は13℃。ラガービールがおよそ7℃で供されるのに比べると少し温め。おいしく飲むポイントはグラスに注がれた後2分程度口を付けずに待つこと。サージングといってギネスビールの泡が表面に集まってくる現象が発生する。2分ほどたって泡が表面に集まりきったら、あとはグイっと飲み干すだけ。泡のクリーミーさと、濃厚でパンチのある味わいが口いっぱいに広がる。手間暇かけた分おいしさも倍増すること間違いなし。ダブリンの観光名所ともいえるギネスストアハウスではギネスビールの製造工程の展示の他、体験サーブができ、表彰状をもらうことができる。赴任したばかりの頃は、ラガーを好んでいた筆者も今ではすっかりギネスフリークになり、日本のビールでは物足りなさを感じるほどだ。

続いてクラフトビール。クラフトビールを好む筆者にとってはとてもうれしいことに大概のPUBには幾つかの種類が置いてありポピュラー。お薦めはアイルランド第4の都市Galwayの醸造所Galway Hookerによるペールエール。港町Galwayの名産である牡蠣(かき)とのコンビネーションが絶妙。ちなみにGalwayでは、50年以上にわたりギネスが最大のスポンサーとなって、毎年9月に世界最大級の牡蠣祭りが開催されているそうで、2019年こそは筆者も訪れたいと思っている。

アイルランドといえばアイリッシュウイスキーも外せない。Jamesonもおいしいが日本にはあまり流れていないウイスキーを紹介したい。その名も「Teeling Whiskey」。1700年代ダブリンには37もの蒸留所があったらしいが、輸出市場である米国の禁酒法の影響もあり、その数は激減。1976年を最後に蒸留所はダブリンから姿を消した。しかし、かつてダブリンでウイスキー造りをしていたティーリング家の子孫が創業の地で復活、一族やダブリンの伝統を引き継いで2015年に蒸留所を設立。アイリッシュウイスキーの特徴である3回蒸留によりウイスキーの純度が上がり(スコッチウイスキーは蒸留2回)、まろやかで飲みやすくフェイバリットにさせてもらっている。ダブリン中心部には、アイリッシュウイスキーの製造工程や歴史を知ることができ、数ブランドのウイスキー(Jameson、Powers、Connemara、Tullamore Dew等)の試飲などウイスキーにまつわるさまざまな体験ができるアイリッシュウイスキー博物館があるのでウイスキー好きにはお薦めしたい。見学の最後にテイスティングで3杯のウイスキーを試飲できるため、出る頃にはほろ酔いを通り越している。

ウイスキーは少し苦手という方に紹介したいのがクラフトジン。日本ではあまり耳にしないが、特に若者の間ではやっている。お薦めはアイルランドの最西端に位置するDingle半島に2015年にオープンしたDingle Distillery製造によるDingle Gin。元はウイスキーの蒸留所として設立されたがウイスキーは熟成に最低3年を必要とするため、ウイスキーができるまでの間、熟成年数の短いジンを製造したことが始まりのようだがこれが大ヒット。2019年2月に開催されたWorld Gin Awardsで世界31ヵ国から集まった400以上のジンから見事頂点に選ばれている。オレンジのスライスを入れてくれるのが新鮮で良い。

スポーツ


アイルランドサッカーリーグ観戦

大概のPUBでは大画面テレビにスポーツが映し出されている。ラグビー、ハーリング、ゲーリックフットボール。筆者はサッカー好きで、アイルランドサッカーリーグを時折同僚と共に観戦に行くが、こちらは正直なところレベルは高いとはいえず、残念ながらテレビでも放映されていない。優秀な選手は子供の頃から目を付けられて英国のプレミアリーグ傘下のユースに引っ張られてしまうという。アイルランドで最も人気なスポーツはやはりラグビーだろう。毎年2-3月にかけて開催されるシックスネイションズ(アイルランド、イングランド、ウェールズ、スコットランド、イタリア、フランスによる6ヵ国対抗戦)は大変な盛り上がりを見せる。筆者が住むアパートの近くに競技場があるのだが、試合の日には緑色のユニホームや帽子、マフラーを着けた熱狂的なファンが周辺にあふれ返る。試合後のPUBは酔っぱらいが多数出るので少し危険(?)。2019年はラグビーワールドカップでアイルランド代表が訪日する。予選で日本とぶつかるようなので筆者もダブリンのPUBで日本を応援しようと思う。


終わりに


以上、思い付くままにつづったが、本寄稿が皆さまにとってアイルランドのことを少しでも知るきっかけになったのであれば幸いである。もし日本のアイリッシュPUBでアイルランド人を見掛けたら、アイルランドのPUBでよくあるようにスロンチャ(=アイルランド語で乾杯)と気軽に声を掛けていただきたい。

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