多文化が混合する 「包容力」のある広州

広州岩谷貿易有限公司 董事長・総経理
碇 浩一郎

はじめに


筆者(珠江新城高層ビルをバックに)

私は、広州の地に2015年4月に赴任しました。二十数年前から中国各都市に100回程度は出張しましたが、何回出張してもやはり出張と駐在とは全く違うものだと実感しています。日本とはさまざまな違いのある中、まだまだ公私共に戸惑うこと、いら立つことが多い毎日ですが、一方で広州に帰ってくると「帰ってきた」とほっとする自分がいます。住めば都、いい街、いい人が多い広州について、ご紹介させていただきます。


広州の概要


①地理
広州市は、広東省の省都で中国第3の都市です。深圳、珠海、澳門、香港などの大都市で形成される珠江デルタの北部に位置し、中国第5の大河・珠江に抱かれるように広がる華南最大の都市で、面積は7435㎢、人口は 1,271万人です。日本人は、約7,000人いるといわれています。日本人学校もあり、生徒数は小中学生合わせて約400人います。

②気候
広州は、亜熱帯季節風気候に属し、年間の平均気温が約22℃、平均湿度は約75%と高温多湿です。4-6月の雨期には、ごう音を伴った雷が発生しゲリラ豪雨のようになりますので、傘と長靴は欠かせません。7-10月ごろまでは35-39℃の長い夏、12-1月の真冬でも最低気温は10℃を超えるような温暖な気候で、基本的には暖房設備はありませんが、2016年は100年に一度といわれる雪が降り、雪を見たことのない広州人は大騒ぎ、一大ニュースとなりました。年間を通じて、雨量が潤沢なため、四季を通じて花や緑にあふれています。そのため、別名「花城」ともいわれます。

③歴史
広州の歴史は2,800年と古く、秦代(紀元前2世紀)には海外貿易の中枢として、唐代には海のシルクロードの起点として栄えました。明代に建造された越秀山山頂にある鎮海楼は沿岸を鎮める意味が込められ、古くから商港として重要な地位にありました。清代には鎖国政策により、長崎のような役割を担う重要な防御拠点でしたが、1841年のアヘン戦争で英国軍に占領され、司令部が置かれるなど欧米侵略の歴史もあります。近代には 1911年孫文が指導する同盟会の武装蜂起が清朝を倒す辛亥革命のきっかけとなり、1921 年孫文は越秀山南麓にあった督練公所で中華民国の非常大総統に就任しました。中華人民共和国成立後、中国を代表する都市として目覚ましい発展を遂げています。

④経済
広州は、珠江デルタの交易の中心として発展し、1957年以降は毎年春と秋に「広州交易会」が開催されています。改革開放政策が始まるまで、中国本土で開かれた唯一の輸出商品商談会で、海外企業にとっても中国と取引する貴重な機会でした。現在、自動車をはじめ、電子部品、サービス業が主要産業となり、中国でも重要な経済貿易地区となっています。

広州の特徴

①広州人の気質
中原文化や嶺南文化、西洋文化など多様な文化の混合により、広州人は大きな度量で全てを受け入れる「包容力がある」といわれます。さまざまな地域の外国人が集まる広州ですが、人種や地域差別はなく、外国人に対する偏見は少ないように感じます。また、華東・華北に比べ、南国特有の「おおらかさ」を持ち、政治への関心が薄いせいか「階級観念が薄い」と感じます。町では、老若男女関係なく道を尋ねたり、私にも友達感覚でフレンドリーに話し掛けてくる若手社員も多いです。そして、商売人だからか「腰が低い」と感じます。WIN-WINを大事にしているので、自分がもうかれば相手ももうかることは良しとし、長くお付き合いしようとします。一方で、「周りを気にしない、自己中!」と感じます。道や出入り口の真ん中で立ち止まっておしゃべりをしても平気、営業時間が終了すれば、お客さんが食べていても関係なく、店内の掃除を始めたり、隣で賄いを食べることもしばしばです。

②古い広州、新しい広州
古い広州の象徴といえば、富商が築いた邸宅が集まる西関大屋です。西関は、広州城の西門と珠江に挟まれたエリアで、この辺りは、アヘン戦争前には、政府から独占的に対外貿易業務を請け負った十三洋行と呼ばれる貿易会社の人々が暮らし、巨額の富を築き上げました。彼らの子孫が19世紀末から20世紀初頭にかけて、次々と建てた建築物の総称が西関大屋といわれます。西関大屋のほとんどが 2階建て以上で長方形、さらに特徴のある三重の扉を備え、面積は400㎡を超える邸宅となっており、大半が現在でも住宅として使われております。「西関のお嬢さん、東山の若旦那( 中国語で西関小姐、東山少爺)」という言葉があります。1930年代に、西関に住んでいたのは商売人のお金持ちや資本家が大半で、東山の洋風別荘に住んでいたのは軍閥や官僚が多く、資本と権勢が結び付く婚姻は最も理想的といわれ、西関のお嬢さんと東山の若旦那と呼ばれるようになりました。
一方、新しい広州の象徴といえば、珠江新城です。1992年、国務院より地域経済発展のけん引役を担うように、北京、上海、広州の三大都市に国家クラスの中央商務区(CBD)建設が批准されました。広州においては、天河区が選ばれ、中でも珠江新城地域を中核として発展させてきました。2010年の広州アジア大会の開催をきっかけに、600 mの高さを誇る広州タワー、フォーシーズンズホテルの入る100階建てのIFCビル、世界最速エレベーターが入るイーストタワー、ザハ・ハディド設計のオペラハウス等、ランドマーク的な高層ビルや特徴的な建物が立ち並ぶようになりました。

③卸専門市場(城)
「広州交易会」に代表されるように広州は商いの街であり、中国各地よりさまざまな商品が集まってきます。アクセサリー城に美容化粧品城、家具城、文具城、服装城、電脳城、玩具城、時計城などなど。買い物のテーマパークのような街です。価格交渉もしやすく、値引きは当たり前。身ぶり手ぶりの値引き交渉で駆け引きをするのも楽しいものです。たくさんの市場の中で、日本人に最もメジャーなのが万菱広場と呼ばれる一大雑貨問屋街です。
万菱広場は、地下1階から8階、東京ドームに匹敵する広さを誇る床面積の中に、さまざまな雑貨やインテリア商品の卸専門店が入居しています。各テナントにおいては、世界各国のバイヤーが商品の仕入れに訪れており、購入数量、価格交渉の現場を垣間見ることができます。物は試しに、携帯電話アクセサリー専門店にて価格相場を確認したところ、中国人が大好きな、携帯電話自撮り棒は、通常価格1個20元(約320円)に対し、100 個まとめ買いの場合は、5.5元(約90円)と大幅に安くなるとのこと。他にも、日本に輸出されている加湿器やアロマ用品、各種雑貨等、さまざまな魅力的な?商品が所狭しと並んでいます。広州にお越しの際は、ひやかしにお立ち寄りください。

広州の食と観光


飲茶

①食は広州にあり
広東料理は広府菜(地元料理)、順徳菜、潮州菜、客家菜と分かれます。食材の選択が幅広く、調理法も多様であり、質と味を重視した上に、素材の鮮度を引き立てるよう工夫を凝らしています。「民以食為天」と伝われるように、特に広州人にとって、食は何より大切です。
広東料理の代表とした広府菜といえば、やはり飲茶です。飲茶の発祥地は広州か香港か曖昧にされますが、発祥地は広州です。清朝時代咸丰同治年間に、広州の「一厘館」という店から始まりました。当時、テーブルと椅子しかない粗末な店でしたが、時の流れにつれ、今の飲茶の形になりました。よく知られる長年の歴史を持つ飲茶レストランは「広州酒家」、「利苑酒家」、「陶陶居」などですが、最も人気を集めるのは「泮溪酒家」です。60 年を超える歴史を持つこの老舗はさまざまな国家首相や海外著名人を接待したことがあります。また、広州三大庭園レストランの一つですので、嶺南文化が十分に伝わる設計の中で、景色を眺めながら飲茶を満喫することができ、都会の騒喧(けんそう)をしばし忘れさせてくれる素晴らしい場所です。写真は、会社近くのレストランの飲茶です。12元(約200円)/蒸籠(セイロ)とリーズナブル、蒸したてを自分で取るスタイルで、温かく很好吃(おいしい)です。実は、広州人にとって飲茶の食卓に欠かせないものは鳳爪(鶏の爪)です。「四つ足はテーブル以外は何でも食べる」と昔からいわれてきた広州人は確かにあらゆるものを食卓に運びます。鶏の爪を揚げてから蒸し、汁がたっぷり浸み込んだ上、食感もびっくりするほど柔らかく、骨も簡単に取れます。それに豊富なコラーゲンが美肌にも効くというところは女性に大人気です(見た目が…正直、私はあまり得意ではありません…)。爪までも食べる鶏料理は広州食文化に欠かせないものと言っても過言ではありません。「鶏なしに祝宴にならず」といい、料理人は工夫を凝らして、たくさんの鶏料理を生み出しました。素材のうまみを味わう白切鶏、塩味と新鮮さを一体化させたカリカリとする泥 鶏、茶葉で燻製された香ばしい茶香鶏などなどです。お客さまを招待する際に、鶏料理がないと、大変失礼なことだと思われます。

②観光
広州の観光といえば、広州タワー、中山記念堂、陳氏書院、長隆動物園等が挙げられますが、一番のお薦めは、市内を西から東に流れる珠江の両岸に出現する夜景です。この景観を船上から観賞するのが「珠江ナイトクルーズ」です。夕暮れ時から暗闇が深くなり明かりが増えていく時間帯が一番きれいで、右手に広州タワー、左手にライトアップされた珠江新城の高層ビル群は、迫力があります。陸上交通網の充実につれて広州では、それぞれの町港がナイトボート専用の港となっており、結果としていろいろなタイプのナイトボートが登場しています。一般的なコースの所要時間は1.5-2時間程度で気軽に楽しめます。


鶏の爪


珠江ナイトクルーズ


おわりに

日本に比べ、空気も悪い、道も悪い、暑くて湿度が高くランニングするには悪条件がそろっていますが、習慣は変えることができず毎週走っています。黒過ぎて顔が見えない!この空気じゃタバコ吸った方がまし!熱中症で倒れるで!など、かえって健康に悪い!といわれていますが、東京、大阪に続き2016年は広州マラソンに出てやろうと思っています。
中国人、日本人の良き仲間に恵まれ、楽しく仕事をさせていただいていることに感謝しています。本寄稿に当たっても、中国人スタッフ、日本人駐在員の協力を得て楽しく作業を進めることができましたこと付記させていただきます。皆さまの広州へのお越しをお待ちしております。

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