日本貿易会70周年記念 特別企画 歴史と未来~その関係を考える~ 

東京大学大学院 経済学研究科 教授岡崎 哲二
専修大学 経済学部 教授田中 隆之

岡崎教授(左)と田中教授


木村
岡崎教授、田中教授、本日はよろしくお願いします。当会は商社および貿易に関係する組織の業界団体で2017年度が創立70周年に当たります。そこで、過去を振り返り、未来を考える機会としてお二人に歴史と未来の関係を、特に企業経営の観点からお尋ねしたいと思います。まず、岡崎教授に伺いますが、「経営史」とはどのようなものでしょうか?


東京大学大学院 経済学研究科 教授
岡崎哲二氏

岡崎
歴史研究には例えば美術の歴史を研究する美術史、政治の歴史を研究する政治史などさまざまなものがありますが、人間の経済活動の歴史を研究する「経済史」は19世紀から研究分野として確立しています。また、対象とする期間も、数千年にわたっています。一方で、「経営史」は20世紀に入ってから企業経営を対象とした歴史として経済史から分離独立したという理解が一般的だと思います。経営史が独立した分野となったことの背景には、経済史研究が基礎とする経済学が1970年代ごろまで持っていた性質があると思います。その時期まで、経済学は新古典派経済学とマルクス経済学が主流で、どちらも特徴的な性格を有しています。新古典派経済学は「市場」を研究対象とする経済学で、「企業」は生産活動を通じて利潤を最大化する主体として非常に単純化して捉えられています。一方でマルクス経済学では、「企業」はやはり利潤を最大限に生み出す「資本」として抽象的に捉えています。従って、これらの経済学では企業の内部組織の問題や経営者の役割は視野に入っていません。こうした問題は経済学ではなく経営学の対象とされてきました。そしてこうした問題を歴史的に研究する分野として経営史が成立したと捉えることができると思います。その後、1980年代以降になると、ゲーム理論等の発展によって経済学が大きく変化し、企業の組織や戦略も分析できるようになりました。その結果、経済史、経営史の研究も大きく発展しています。そのことは見方を変えれば、経済史がそれまで経営史の対象とされてきた問題を統合し、経営史が経済史の中の一つの分野になったということになると思います。もちろんこうした見方には異論もあると思います。

木村
経営史から、あるいは一般的に歴史から「人は何が学べる」のでしょうか?

岡崎
最も単純な答えは、「歴史の教訓」ということだと思います。現在の私たちが直面しているさまざまな問題が、実は過去に似たような状況で当時の人々が同じように悩み、解決に向けて努力していたということが多くあります。歴史の中で企業や人々は多様な機会や危機に直面し、そこでさまざまな選択や決断をしてきました。これらの選択や決断を深く研究することは、現在取るべき行動の一つの指針を与えると思います。過去の事例の中には時代を超えて通用する教訓が数多くあります。事業分野の選別、組織改編の方法、事業進出のタイミング、あるいは人材をどう育成するかなど、今日の経営課題について、過去から学べることは大変多いと思います。

木村
教訓としての歴史の強みは何でしょうか?

岡崎
歴史研究の利点の一つは、時間を間に挟むことでアクセスできる情報が広がるということです。現時点で特定のごく狭い範囲の人しか接触できない機密情報も時がたてばオープンになり、研究できるということですね。経営トップの数人だけが接することができて、その数人だけで意思決定をしていたような課題や情報もある程度の時間を置けば、その詳細が明らかになり、そこから現在に通用する教訓を引き出すことができるということです。そして同時にある出来事や行動の結果を長期にわたって評価できることも歴史研究の固有の強みです。

歴史から教訓を引き出すことはある意味で、「過去と現在の共通性を使う」ともいえます。別の視点として「過去と現在の相違性を活用する」ことも可能です。現在の世界で、当然のこと、動かすことのできないこと、と誰もが捉えていることも、過去にさかのぼると、実はそんなことはなかったということもあるのです。一つの例としては、日本の終身雇用があります。これは日本文化に深く根付いているものであり、変えることはできないと考える人も多くいると思いますが、戦前の日本では必ずしもそうではありませんでした。そこから、終身雇用が日本の固有文化であるということに疑問を持ち、変えることもできるのだと捉えることもできます。現在の「当たり前」を疑うこと、相対化することのきっかけとなるのが歴史研究であるということですね。

木村
他にも歴史の強みはありますか?

岡崎
「経路依存性」という概念があります。ある過去に起こった出来事がその後の事態の推移の中で長期的に影響を与えるという現象を指します。それが起こるメカニズムはいろいろあるのですが、一つ分かりやすい例としては、ネットワーク外部性というメカニズムで、これはある選択をする人が多ければ多いほど、一人の人が同じ選択をするメリットが大きくなるということです。経路依存性はポール・デーヴィッドが最初に提唱したのですが、彼が挙げた例はキーボードの配列です。現在のキーボードの配列は不思議な配列で、なぜそうなったかを説明するには、歴史研究が必要となります。同じようなことですが、なぜ英語が国際共通語となっているかについては、英語が世界で最も効率の良い言語であるということではなく、大英帝国の存在を抜きには説明ができません。このように、歴史をさかのぼらないと理解ができないことがあって、それをもたらしているのが、「経路依存性」です。以上の3点が歴史研究のメリットであり、歴史の強みであると思います。

木村
経営史を学ぶというと、何か余裕のある人が純粋な知的好奇心で行うというようなイメージもあるのですが、企業で日々忙しく「実務を処理している人たち」も経営史から学ぶところはあるのですか? また、逆に経営責任の大きい「企業のトップ」は経営史に通じている必要がありますか?

岡崎
近代以降、大企業の誕生と共に企業トップがありとあらゆる経営意思決定を全て自分で行うということは可能ではなくなり、全社的に重要な限定された事項について、戦略的意思決定を下すという状況が生まれました。日常的な管理業務はミドルマネジメントに委譲したわけですが、そのことは経営者に戦略的な問題についてじっくり時間をかけて考えるという、ある意味で「余裕を与える」ことになったといえます。そして、企業にとっての戦略的決定には、企業ドメインの決定、組織の設計、大規模な投資など過去にも現在にも共通するものが多くあります。そのため、現在の問題について、過去の経営者が何を考え、どういう決定をしたか、を知ることは非常に有益です。このように考えると企業のどういう人たちに歴史や経営史が役に立つかというと、やはり、企業の経営トップとそれを支える経営企画スタッフには特に有用であるといえます。

木村
経営史自体も時代と共に変化してきていますか?

岡崎
学術研究一般にいえることだと思いますが、新しい分析の枠組みを導入すると変化が生まれるということがあります。先ほど申し上げましたが、経済学が組織とか経済主体の間の戦略的関係も分析することができるようになった結果、新しい分析用具を使って経済史や経営史の可能性も大きく広がっていくというように、分析用具の発達によって変化するという側面です。もう一つは歴史研究全般に関する点です。20世紀を代表する歴史家の1人であるE.H.カーが「歴史とは過去と現在の対話である」という名言を残しています。今、われわれが直面している問題が歴史への新しい問い掛けにつながり、歴史研究が新しい展開を示すということです。経済史で例を挙げると、現代の世界経済における中国の台頭は目覚ましいわけですが、そのことが経済史の見方を大きく変えました。それまでの経済史は欧州中心で、欧州でなぜ資本主義が発展したかといった研究が中心でしたが、現代の経済で中国が存在感を増すと、新たな見方が提起されました。19世紀の初めまで揚子江下流域など中国の特定地域は1人当たりで欧州と同じ程度の所得水準を持っていたということが研究を通じて明らかになり、その豊かさの源泉は何なのか、その後、なぜ中国と欧州に格差が生まれたのか、といった新しい問いが生まれ、経済史に広さと深さがもたらされていきます。経営史でいえば、東日本大震災や紛争などでサプライチェーンが崩壊したり、大きな影響を受けたりした産業が多くありました。すると、サプライチェーンというものは歴史的にどのような進化を遂げてきたのか、という視点が新たに提起されるというようなことがあります。現在の問題に応じて歴史への新たな問い掛けが生じるということですね。

木村
商社関係者が特に学ぶ余地が大きい部分はどこでしょうか?

岡崎
日本の場合、総合商社という業態があり、その中には戦前に生まれて今日まで存続しているものもあります。商社は長い歴史を持っており、その過程でさまざまな経営環境に遭遇し、ある会社は存続し、別の会社は衰退したり、消滅したりといった経験をしてきました。さまざまな経営環境に各社がどのような戦略を取って、どのような組織構造をつくったかを研究すると、特定の環境に対してどのような対応が適合したり、適合しなかったりしたことが明らかになります。こうした点で商社にとって歴史研究から学ぶところは大きいと思います。


専修大学 経済学部 教授
田中隆之氏

木村
田中教授は当会が2010-11年度に行った総合商社原論特別研究の結果を『総合商社の研究』として著されましたが、現在の商社関係者は商社の経営史から何が学べますか?

田中
過去の事例を参考にすることで、総合商社の現在のビジネスモデルや、抱えている問題を、より深く掘り下げることができると思います。特に、2点について思うところがあります。

一つ目は、商社の投資活動ということです。実は商社は戦前にも投資活動を積極的に行っていました。『総合商社の研究』では事業投資と事業運営を分けて考えていますが、いずれも戦前から行われていたことに気が付きます。それが、現在の商社の投資とどこが違うかという観点は非常に面白い。ここを明らかにすることで、総合商社のビジネスモデルがより的確につかめるのではないか、と思います。


『総合商社の研究』
(東洋経済新報社)

二つ目は英国の多国籍商社との比較です。19世紀後半から戦後にかけて隆盛を誇ったこの業態が、1980年代以降はほとんど消滅してしまった。これが、総合商社の先行きを考える上で参考になるのでは、と考えています。英国の多国籍商社はなぜ消滅したのか、日本の総合商社はなぜ生き残っているのか、ということですね。英国では1960年前後に「株式公開」が進み、80年代になって株式の所有構造が変化することで機関投資家の存在感が大きくなりました。「何でもやる」商社が、投資家の目には、シナジーのない多様な分野に展開していると映り、企業価値がその企業の持つ個別部門の価値の合計を下回る、コングロマリット・ディスカウントという現象が生じました。投資家から事業集約化の圧力がかかり、ある会社は製造業に転換し、ある会社は専門商社になりました。それに対して、日本の総合商社はビジネスモデルの説明で苦労はしているものの、最近は、事業運営、事業投資、商品取引の三つをやっていくのだということが、きちんと説明できているのではないかと思います。例えば、格付け会社のムーディーズは総合商社の評価手法としてこれらのポイントを的確に掲げています。

木村
商社の過去、現在、未来についてどうお考えでしょうか?

田中
日本の総合商社は、その内実が、時代が進むとともに変わってきています。戦前の、戦後の10大商社の頃の、そして現在の総合商社は、それぞれ異なるものと捉えられるべきだと思います。戦前の商社は、出自が近江商人あり、財閥あり、いろいろですが、巨大商社の中で「総合商社」と呼べるものは少なかった。戦後の10大商社の頃は、「金太郎あめ的な」というか、均質な経営体としての総合商社が出そろい、トレード(商品取引)が活動の中心でした。当時も投資を行っており、資源開発投資がその典型でしょうが、商権確保のための手段という側面が強くありました。それに対して現在の総合商社では、投資のための投資や事業運営のための投資が加わり、3つの投資が併存していて、そこに大きな変化が見て取れます。このビジネスモデルは世界でも非常に珍しく、追随する企業はあまりないのではないかと思います。未来の商社がどうなるかは分かりませんが、自らのビジネスモデルを明確に説明し、投資家の理解を得るということが非常に重要なことだと、先の英国の例を見て思いますね。

木村
『総合商社の研究』の執筆活動で印象に残っていることは何ですか?

田中
商社の企画、調査畑の皆さんが特別研究会の委員の中心でしたが、会合の中では高千穂大学の大島久幸先生はじめ商社業界誌の方、商社アナリストの方などいろいろなゲストスピーカーの話を聞く機会がありました。そこで感じたことですが、商社研究においては、歴史研究中心の学者と現場に近い研究者の間に交流がなく、お互いの研究内容を知らないことも多いのが、とても残念に思えました。商社の現場に近いアナリストやエコノミストが歴史に通じ、逆に歴史研究者が現在の商社の経営上の問題点を知れば、お互いの領域で新しい視点からの研究を生み出すことができるのではないか、と思いました。

木村
まさにE.H.カーの言うように、過去を調べる研究者と今を生きている人たちの対話ですね。田中先生の近著は『総合商社 -その「強さ」と、日本企業の「次」を探る』ですが、書き上げてみて、どのようなご感想をお持ちですか?


『総合商社─その「強さ」と、
日本企業の「次」を探る』
(祥伝社新書)

田中
私の専門は、日本経済のマクロ分析や金融政策論ですが、5年前の特別研究会がきっかけとなって、商社研究にも足を踏み入れました。ところが、この分野には面白い研究テーマがゴロゴロ転がっており、日本貿易会とのご縁に感謝している次第です。研究歴が浅い点にちゅうちょもあったのですが、出版社の誘いを前向きに捉え、苦労しながら書き上げました。前著刊行後に目にした学者の方の研究、アナリストの方の分析を参考にしましたが、とりわけ京都大学の田中彰先生の『戦後日本の資源ビジネス』からは、多くの知見を得ました。こういった研究に、商社関係者や現場のアナリストはもっと目を向けるべきです。

本書では、少し大げさですが、経済史・経営史視点と現場の商社アナリスト視点を融合して「総合商社学」を試みました。また、商社業界の外にいる皆さんにも読んでもらえば、商社では当たり前の「投資のリサイクル」や「バリューチェーン」の視点に、他の産業や企業も学ぶところが大きいのではないかと感じています。日本企業が元気になる一助となれば幸いです。

木村
本日はどうもありがとうございました。

(司会:広報・調査グループ長 木村昭)

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