日中平和友好条約 締結40周年記念 シンポジウム(2018年9月21日、於北京外国語大学)


日本貿易会は、9月21日、中国の北京外国語大学にて、日中平和友好条約締結40周年記念シンポジウムthe SHOSHA 商社~日中経済交流に果たす役割とその新展開~を開催しました。同大学の北京日本学研究センターの共催、日本大使館、中国日本商会、日本貿易振興機構(JETRO)の後援により実現したシンポジウムには、周辺大学も含めた学生、大学院生と、中国日本商会メンバー企業の関係者を中心に、約200人が参加。熱気のこもったシンポジウム、質疑応答の後、学生食堂で交流会を行いました。今号ではその内容につき紹介します。

12:30- 郭連友教授(北京日本学研究センター長)の案内で構内を視察

シンポジウムの会場となった、アラビア学院国際会議場は、外見がモスクのように見える、アラブ風の建物です。来賓、大学関係者、パネリストの打ち合わせを兼ねた昼食会を、教員用大学食堂で開催した後、共催者として運営に絶大なるご支援を頂戴した北京日本学研究センターの郭連友教授(センター長)の案内で、中村会長以下関係者が構内、および北京日本学研究センターの視察を行いました。当会からセンター内の日本語図書館に対して『日本貿易の現状』40冊を寄贈しました。


北京外国語大学構内(郭連友教授、中村会長)


北京日本学研究センター内を視察


センターに『日本貿易の現状』を寄贈


14:00-14:20 シンポジウム開会、関係者挨拶・祝辞


シンポジウムは当会岩城常務理事の司会で開会し、まず中村会長が主催者を代表して、シンポジウムが日中経済交流と相互理解の一助となるとともに、商社の機能や役割について理解を深める機会となることを期待すると挨拶。その後に、駐中国日本大使館の飯田博文公使、中国日本商会の平井康光会長(三菱商事執行役員東アジア統括)からご祝辞を頂戴しました。


中村会長挨拶


司会 岩城常務理事


日本大使館飯田公使ご祝辞


中国日本商会平井会長ご祝辞


14:20-16:50  シンポジウム、質疑応答


シンポジウムのモデレーターは、北京と広東のラジオ局で日本語番組のプロデューサー・MCを務めた経験もある、ノンフィクション作家の青樹明子さん。1972年にパンダ2頭が上野公園にやってきた時の熱狂の話からシンポジウムが始まりました。5人のパネリストは、いずれも日中経済交流に深く関わってこられた方々ばかりで、聴衆の熱気の中、動画やスライドも利用して、日中交流の過去・現在・未来につき、プレゼン、意見交換しました。詳細は次ページ以降で紹介します。


会場全景


17:15-18:30 交流会


質疑応答の時間が延びて、予定より遅れて始まった交流会では、会議の参加者が入り交じって、質疑応答の続きを含めた交流を行いました。中村会長や日本企業関係者の皆さんも、学生に囲まれ、質問の嵐に、一生懸命答える姿が印象的でした。閉会間際に、ご出張先から、中国商務部アジア司の羅暁梅参事官が駆け付けて来られ、ご挨拶をいただいた後、当会河津専務理事の閉会挨拶でお開きとなりました。


学生と懇談する中村会長


河津専務理事挨拶


羅暁梅参事官ご挨拶


過去-日本貿易会が深く関与した日中経済交流の歴史


小島弘敬氏:住友商事グローバルリサーチ副社長


シンポジウムの冒頭に、小島弘敬氏(住友商事グローバルリサーチ副社長)から、ご自身も深く関与された日中経済交流の歴史と、その中で商社と日本貿易会が果たした役割が説明されました。ここではその一端をご紹介します。


設立当初から日本貿易の振興に尽力した日本貿易会


日本貿易会は、第2次世界大戦後に日本が民間貿易を再開するのに先立ち、1947年6月に、貿易関連団体を統合して「貿易の健全な発展を通じて日本経済の繁栄に寄与すること」を目的に創立されました。創立直後から活発な活動を展開し、1948年11月には貿易産業省の設置構想を提唱(翌年通商産業省として結実)。さらには、1949年に発刊された通商白書の創刊を支援したり、今日のJETROの設立発起人となったりしました。

日本が高度経済成長期に入っても、貿易拡大の努力は継続され、1959年には、日本貿易会・日本商工会議所・JETROの3団体で「日本貿易憲章」を採択し、貿易立国の精神を提唱。1970年代に商社活動に対する反発が強まると「海外投資行動基準」や「総合商社行動基準」を策定し、国内外との共生の考え方を打ち出すなど、多面的な活動を行いました。

貿易摩擦への対応

1970年代末からは、米国を中心に、日本からの輸出拡大と、日本への製品輸入の少なさに対する反発が高まり、日本と各国との貿易摩擦が顕在化しました。日本貿易会は輸入促進懇談会を設置して、輸入拡大に努めるとともに、保護主義的な動きの広がりに対しては「自由貿易原則の堅持とわが国の姿勢に関する決議」を採択し、非関税障壁の撤廃などを訴えました。1980年代半ばには、保護主義的な色彩の強い「包括通商法」などの制定に反対し、レーガン米国大統領や上下両院議員に意見書を送付したこともあります。


1988年 青島での実務講座


1975年 第1回訪中ミッション 1


1985年 対外経済貿易部での会見


日中貿易の実務環境改善に奔走


呂克倹氏:全国日本経済学会副会長、元駐日大使館経済商務公使


日本貿易会は、1972年の日中国交正常化に先立ち、1971年に「中国委員会」を設置して、日中貿易推進のための研究や建議に着手しました。1975年を皮切りに、1985年までに4回の訪中ミッションを派遣。1985年のミッションで対外経済貿易部(現在の商務部)と「日中貿易問題連絡会」の設置で合意しました。パネリストの呂克倹氏(元中華人民共和国駐日本国大使館経済商務公使)は、この時の交渉に、中国側代表団の一員として参加されていました。連絡会は1996年まで11回開催されましたが、そこでの議論を通じて、日本貿易会は、日中モデル契約書を作成し、中国国内各地で「中日貿易実務講座」を開催するなど、貿易の実務環境整備に注力しました。


中国のWTO加盟を支援


1993年には、日中経済交流拡大研究委員会を設置し、中国の安定的発展にはGATT(その後WTO)加盟が欠かせないとして、加盟に向けた課題をいち早くまとめて発表しました。

現在-日中経済交流を支える商社の機能、ビジネスの紹介


青樹明子氏:ノンフィクション作家


ここで、モデレーターの青樹氏から、商社は就職人気が高く、存在はよく知られているものの、中身は、日本でもあまり知られていない。最近、日本で学ぶ中国人留学生にアンケートをしたところ、6-7割が商社について、あまり知らないと回答し、残業が多く薄給など一面的なイメージを持っていると紹介があり、商社機能の説明に移りました。


商社機能とビジネスの実例を紹介


小野元生氏(三井物産専務執行役員中国総代表)から、同社の会社紹介ビデオも交え、三井物産を例に商社の紹介を行いました。全世界にネットワークを張り巡らし、あらゆる産業分野の商品・サービスを手掛け、多数の関連会社を擁するその姿や、メタノールを例に、通常の貿易取引に加え、情報や物流機能を駆使したトレーディングの展開、さらには外国メーカーと共に生産にも進出するなど、多面的なビジネスモデルにつき説明がありました。

続いて、三菱商事と三井物産に勤務経験のある魏杰氏から、商社の強みはその人材にあること、本社で人事部長を務めた経験のある小野氏からは、その具体的中身として、三つのty(Agility、Curiosity、Flexibility) に加え、PassionとWillを備えた人材が求められているとの発言がありました。ここで、モデレーターから、中国人が商社で働くには日本語は必要かとの問いがあり、小島氏から「必須ではないが、あった方がベター」との回答がありました。


小野元生氏:三井物産専務執行役員 中国総代表


魏杰氏:Juniper Networks Vice President/Chairman for China & Japan


未来-日中経済協力の多様な可能性


休憩を挟んで、話題は今後の日中経済協力の期待される分野、在り方に移りました。

日中第三国市場協力と商社

2018年5月の李総理の訪日を機に、日中経済協力の推進が新たな局面を迎えており、中でも第三国での協力が脚光を浴びていることが紹介されました。具体例を問われた小野氏からは、三井物産ではメキシコの太陽光発電で中国のパネルサプライヤーと協業したり、オマーンの発電所建設、タイの砂糖工場などの案件も中国のパートナーと手掛けた経験があり、今後モザンビークなどでも可能性を検討していると回答がありました。

小島氏からは、商社は中央アジアや東南アジアを中心に、昔から一帯一路を実践してきており、改めて中国企業との協業を強化することが日中第三国市場協力となるとの認識が示されました。

日米貿易摩擦の経験に学んで中米貿易摩擦の対応を

話題は、中米貿易摩擦に移り、GDPで世界の2大国が対立することで、日本を含めた全世界の経済に悪影響が及びかねないこと、とりわけサプライチェーンが寸断されることが心配との認識で一致しました。日本側からは、約30年前の日米貿易摩擦の際には、官民一体となって輸入拡大に努め、それによって国民生活の改善にも役立った経験も披露されました。

高齢化社会への対応で日中協力に期待

日中間では、省エネ・環境対応ビジネスや、都市のスマート化、中小企業対策など、多くの分野で企業間協力が期待される中で、とりわけ日本が先行し、中国でも急速に進んでいる高齢化社会に対応したヘルスケア等のビジネス協力が期待されます。堂ノ上武夫氏(JETRO北京事務所長)からは、製品やサービス単品の紹介にとどまらず、介護等に対する考え方も含めた総合的な交流が必要との理解から、JETROが年20回程度、日中企業間の高齢化ビジネス交流会を開催しているとの紹介がありました。


堂ノ上武夫氏:JETRO北京事務所長


登壇者


日本企業の経営理念に学ぶ


中国の経営者の間では、日本の経営哲学や企業理念にも関心が高まっていることから、小島氏が住友グループの経営理念とその歴史について、スライドも使用して説明。今日のSDGs(持続可能な開発目標)の考え方にも合致するとのことでした。

活発な質疑応答に時間延長、交流会でも熱心なやりとり

シンポジウムの最後には、会場からの質問が受け付けられましたが、次々と手が挙がり、多くの中国人学生・院生が、日本語で熱心に質問する姿が印象的でした。質問項目は以下の通りで、登壇者が手分けして回答しましたが、時間が足りなくなって延長、さらに詳細で具体的なやりとりは交流会の場に持ち越されました。引き続き学生食堂で開催された交流会では、中国の学生・院生と日本企業からの参加者が入り交じり、熱のこもった情報交換が続きました。

会場からの質問事項

  • 貿易摩擦の中国産業政策への影響
  • 商社への就職事情
  • 貿易摩擦への対応策
  • 生産過剰の問題への対応
  • アジア開発銀行(ADB)とアジアインフラ、投資銀行(AIIB)の関係
  • 日本企業による中国市場の位置付け変化
  • 日中韓経済協力

交流会の模様


質疑応答の様子



運営を支えてくださった皆さんに謝謝!


今回のイベント開催に当たっては、北京外国語大学北京日本学研究センターに共催、会場提供、受付等の運営協力をいただき、郭連友教授、宋金文教授には大変お世話になりました。日本大使館、中国日本商会、JETROからは後援をいただきました。なかでも中国日本商会の皆さま、会員商社の皆さまには、多数のご参加のみならず、事前準備や諸手配についても多大なご支援をいただきました。この場で厚く御礼申し上げます。

また、中華人民共和国駐日本国大使館の宋耀明公使には、多面的なアドバイス、ご支援をいただきました。現地では商務部の羅暁梅参事官に、本当にご多忙の中、交流会へ駆け付けていただきました。改めて深く御礼申し上げます。


中村会長と宋耀明公使


受付の皆さん


こぼれ話


大学図書館も独創的な建築でした

シンポジウムの準備と運営で、前日午後から、開催当日ほぼ終日、北京外国語大学の構内で過ごしました。キャンパスは大変広く、シンポジウム会場となったアラブ風の講堂や、茶室やのれんを備えた北京日本学研究センターなどが立ち並んでいます。海外からの留学生が中国人学生と語り合ったり、スポーツを楽しむ姿も見られ、大変国際的な雰囲気に満ちあふれていました。ご案内いただいたセンターの中には、ここは日本?と思うくらいの立派な日本語図書館があり、ブース形式の自習室も完備されています。そこで熱心に勉強する学生たちの姿が印象的でした。

驚いたのは、講義が始まって、学生が教室に吸い込まれると、どこからともなく、本当に多数の子どもたちが、おじいさんやおばあさんに伴われて、会場前の広場を埋め尽くしたことです。お手伝いをお願いした学生に尋ねてみると、学生も教員もほとんどが構内の学生寮や教員宿舎に住んでいるので、先生たちの家族でしょうとのこと。食堂も小さな商店も構内にあるので、「大学城」とも言われ、構内は小さな町のようなものなんですとの説明でした。

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