地方創生と観光 ―広域周遊観光は強力コンテンツとインフラ補完で

蝶理株式会社 取締役兼執行役員中国総代表井上 邦久
日本貿易会 政策業務グループ部長砂田 一彦
高山市役所 ブランド・海外戦略部部長田中 明
蝶理株式会社 経営政策本部人事総務部システム部担当兼業務 効率化・経費削減プロジェクト担当執行役員中山 佐登子
日本貿易会 広報・調査グループ長木村 昭(司会)

1.魅力あるコンテンツと広域周遊観光

木村(司会)
蝶理社は2015年12月に封切られた映画「杉原千畝 スギハラチウネ」に協力されたそうですね。杉原氏は第2次大戦時に多くのユダヤ系の人々に日本通過ビザを発給したことで有名ですが。

井上(蝶理)
はい、杉原氏は、戦後、当社に勤めておられたことがあり、そのご縁でご家族が運営されているNPO法人「杉原千畝命のビザ」を通じて、映画の製作にご協力いたしました。

田中(高山市役所)
実は岐阜県高山市には多くのユダヤ系の人々が訪れています。杉原氏ゆかりの地の福井県敦賀市と岐阜県八百津町を訪ねる途上で、高山市、白川郷などで伝統的な日本の風景や街並みを楽しんでいかれています。高山を訪れたイスラエル人の数は2014年が5,631人、2015年が7,324人で、2015年4月単月で見ると統計的には来日イスラエル人の7割以上の人が高山に来ていらっしゃることになります。

木村(司会)
敦賀市、八百津町、高山市の関係をもう少し説明していただけますか?

田中(高山市役所)
リトアニアで杉原氏が発給したビザを手にしたユダヤ人はシベリア鉄道でロシア東端のウラジオストクに移動し、そこから船で敦賀に渡り、日本を通過してさらに米国などに移住していこうとしたのです。命からがら欧州を脱出したユダヤ人が初めて日本の地を踏んだのが福井県敦賀市、そして杉原氏生誕の地である岐阜県八百津町、この2都市を訪ねることがユダヤ系の多くの人々の訪日目的になっています。

そのルートを高山市は「杉原千畝ルート」と名付けていますが、杉原氏への感謝の念をささげる旅になっています。敦賀と八百津を移動する途中で高山市や白川郷などを訪れ、文字通り広域で日本的な風景や文化を楽しんでいただいています。


日本貿易会 政策業務グループ部長
砂田 一彦

砂田(日本貿易会)
杉原千畝という一つのコンテンツが敦賀と八百津の二つの地域を結び、さらにその間にある高山、白川にも人が訪れるという、まさに広域周遊観光の代表例ですね。杉原氏と高山市は直接的には関係がありませんが、高山市の持つ宿泊インフラや観光スポットと八百津町の持つ歴史・文化コンテンツが連動することで外国からの観光客を引きつける魅力を創り出していると捉えることができると思います。

田中(高山市役所)
実際に、敦賀市、金沢市、白川村、高山市、八百津町の5市町村で広域連携協議会を立ち上げました。敦賀から八百津まで鉄道やバスで結び付け、ユダヤ系の人々に便利で快適、かつ意義深い旅を楽しんでもらうことを計画しており、海外でのPR活動にも力を入れていこうとしています。海外の国や地域をターゲットにして観光PRをする例は多いと思いますが、ある特定の宗教、民族、文化などに焦点を当てて観光コンテンツをアピールすることも可能だと思います。国境を越えて共通の関心を持つ人々が集うというイメージですね。

2.広域周遊観光の価値

木村(司会)
あらためまして、広域周遊観光とは何でしょうか?

砂田(日本貿易会)
2015年の訪日観光客数は前年対比で大幅に増加し、2,000万人目前まで来ました。課題は外国からの観光客の大半が東京、京都などいわゆるゴールデンルートと呼ばれる、極めて限定された地域を巡っただけで帰国してしまうことです。「点」だけで終わっており、「面」に展開できていないということですね。この課題を乗り越えるために国土交通省は「世界に誇れる広域観光周遊ルート検討委員会」を設け、当会の小林会長が座長となって諸施策を企画、検討しています。国交省はテーマやストーリー性を持つ全国7地域を広域観光周遊ルート形成計画の中で大臣認定しました。つなぎ、広げることで「点」から「面」へ展開していく、そのような施策を実行していくことが大切だと思います。

木村(司会)
商社が観光促進に関与するというのは意外に思う人が多いかもしれません。

砂田(日本貿易会)
そうかもしれませんね。当会は「内なるグローバル化」の推進という考えをこの2年間、提唱してきています。日本は海外市場開拓とか生産拠点の海外への移転とか、「外へのグローバル化」は大変精力的に行ってきましたが、今、必要なのは日本国内をグローバル化すること、つまり「内なるグローバル化」であるという考えです。当会はこの考えを広く浸透させるために特別研究会を立ち上げ、「内なるグローバル化」の推進に関わる課題と商社の果たせる役割をさまざまな角度から議論しています。

木村(司会)
「内なるグローバル化」とは具体的にはどういうことですか?

砂田(日本貿易会)
日本の人口が減少していく一方で、世界の人口は増加し続けます。そういう環境の中で日本が生きていく道は海外から日本にヒト、モノ、カネ、情報をもっともっと導入し、日本をグローバル化することであるということです。具体的には、より多くの海外のヒトに日本に来てもらう観光振興、留学生の受け入れ、またもっと海外のカネを日本に投下してもらう対内直接投資の促進といったことを推進していくことです。

特に、観光振興は国内での消費が伸びる他、地方創生にも結び付く、「内なるグローバル化」のコアとなる活動です。しかも、先ほど申し上げたように、観光周遊ルートを整備することで、地方での観光振興を「点」で終わらせるのではなく、「面」展開できるし、そうすべきであるというのが、広域周遊観光のコンセプトです。例えば、1週間いても飽きが来ないくらいにテーマ性とかストーリー性を持たせた観光コンテンツを広い地域で連携して提供するということです。いろいろ結び付けて、1回の訪問では期間が足りないくらいの豊富なコンテンツ群を提供すれば自然に日本観光のリピーターになり、意外な地方まで足を運んでくれると思います。


蝶理株式会社 取締役兼執行役員中国総代表
井上 邦久氏

井上(蝶理)
その意味では、日本の場合、広域観光の開発余地は非常に大きいと思いますよ。まず、はっきりとした四季がある、しかも南北に長く、山が多いので高度差もある、そのため、狭い国土でも地域ごとに気温差が非常に大きくなります。桜を見に来ることが中国では大変人気があり、1ヵ所だけだと1週間程度のお花見期間でも、南と北、平野と高地では、桜前線も時期がずれますから、日本全体でみると桜というコンテンツを提供できる時期はかなり長くなります。そのあたりも広域連携で工夫すれば桜観光を中心に据えたプランだけでもかなり面白い展開ができます。

紅葉も人気がありますし、場所が変われば観光に適した時期も変わり、長い時間軸で観光コンテンツを提供できるというメリットが日本にはあります。

田中(高山市役所)
その視点は重要で、高山を訪れる人で高山だけを目的にしている人はいないんですね。高山と白川、金沢、松本とか、東京から京都に移動する途中で高山にいらっしゃるとか、高山+A+B+CとしてPRしていかないといけません。高山は通過点でもいいのです。私たちは周辺の町村だけではなく、飛び地でもいいので連携して集客をすること、それが外国人来訪者と地方創生を結び付ける一つの鍵だと思っています。重要なのは一つの企画を単発で行うのではなく、いろいろな要素を組み合わせること。先ほど申し上げた広域連携を進めている五つの市町村はそれぞれに持っているものが異なりますので補完し合って一つのルートをつくり上げることができています。一つの「コンテンツの種」の周囲をよく見回し、時間的、空間的な広がりを持たせていくと訪問客の楽しみが何倍にも増えていきますね。

木村(司会)
期待が大きくなっていきます。

田中(高山市役所)
ただ、広域観光は良いことばかりではありません。日本人の旅行者を招くのに比べ、インバウンド観光客に対応することは非常に手間がかかり、面倒なものです。それをやっていくという覚悟を持てるか、腹をくくれるか、これが重要です。高山市はもう30年以上もインバウンド観光への対応をしてきました。トイレは和式か洋式かとか、買い物の仕方も違うし、買う物も違う。もちろん、言葉も違う。そういうことに地道に対応していく覚悟が必要ですし、できれば同じレベルで広域的に対応ができればベストです。


3.観光産業におけるコンテンツとインフラ


木村(司会)
広域観光を考える上で重要なことは何でしょうか?

田中(高山市役所)
人を引き付ける強力なコンテンツと快適な宿泊施設などのインフラの両面を満たすことです。日本の文化や伝統はコンテンツの代表例で、地方各地にはたくさんあるでしょうから、もっと上手にアピールしていくといいでしょうね。一方で、杉原千畝の活動のような具体的な史実というのは、単なるイメージではなく、実際に起きた出来事という意味で非常に強い吸引力を持っていますね。

木村(司会)
やはり、有名な文化行事や史実が存在する場所が外国人を引き付けるのでしょうか?

田中(高山市役所)
いえ、そんなことはありません。日本人にとっての「普通」が外国の方々には「普通でない」ことも多くあります。高山市では、冬に雪がたくさん降りますが、道に積もった雪はブルドーザーで脇に寄せます。すると、雪の山が道路脇に出来上がりますが、その前でうれしそうに外国の方が写真を撮っていますね。夏には、しゃがんで何か熱心に撮影しているので、何だろうと思ったら、普通のアマガエルだったりして。その土地の住民にとって当たり前のことを外国の人は非常に喜んでくれたりします。ですから、日本中、どこにでも外国人が喜んでくれる要素が潜在するといえるでしょう。


4.次のステージに入った中国


日本貿易会 広報・調査グループ長
木村 昭

木村(司会)
インバウンドというと中国人、中国人というと「爆買い、爆食い」に焦点を当てたメディア報道が多いようです。

井上(蝶理)
中国に駐在していて感じることですが、中国の人の日本への関心は非常に多方面にわたっています。中国人観光客というと、
「爆買い」が有名ですが、買い物が目的の中国観光客の滞在日数は非常に短くて、日本はもっと別のことに興味のある中国人に注目して、より長期にじっくりと日本を味わってもらう観光戦略を立てるべきだと感じます。ちなみに、「爆」という言葉は中国ではあまり上品なニュアンスを持っていないようです。

木村(司会)
日本人がその言葉を使う時は注意が必要ですね。

井上(蝶理)
もはや中国人観光客を一つのカラーで捉えることができない時代になっています。最近の中国では「中国人が行かない日本を教えてくれ」と言われることがあります。先日も知人2人と会ったら、2人とも立派なカメラを見せて、これで桜を撮りに行くので、他の中国人が行かない穴場を教えてくれと。

木村(司会)
日本に行く目的はショッピングではなく、桜の撮影なのですね。

井上(蝶理)
中国はもう次のステージに入っています。中国人はツアー旅行客ばかりと思っている日本人が多いでしょうが、実は中国人の個人旅行が非常に増えています。また、中国では日本の「断捨離」の翻訳本が書店に平積みされて売られています。主にインテリ層や1990年代に生まれた若者が読者となっているようですが。これはもう物欲を脱しようという人々の世界です。

砂田(日本貿易会)
日本の観光業関係者の狙いも、いかにリピーターを増やすか、いかに滞在日数を増やすか、いかにいろいろな場所に行ってもらうか、というところですが、そのためにはいろいろな観光コンテンツを結び付けて、1回の訪日では見切れないくらいの魅力を提供していくことが重要です。「爆買い」対応一本やりでは、いずれ限界が来ます。

田中(高山市役所)
高山を訪れた中国人観光客の数は2015年には前年の3倍となり、米国人観光客を超えました。そして、先ほど井上さんからお話がありましたが、ビザ発給の緩和もあって個人旅行客が確実に増えていて、ゴールデンルート以外の観光地に自分で宿を取って、自分で汽車に乗ってやってくるわけです。そうした個人旅行の方々も買い物をするのですが、高山には「爆買い」のできるお店はほとんどありません。すると、個人旅行客の皆さんは普通のお店に入って、土産物ではなく、カバンとか、化粧品とかの日用品を買っていかれるんです。観光客の方が多くいらしたことで、街中の普通の商店が予期せぬ活性化をしています。個人観光客には既存の小売りインフラでもしっかり対応できるという例です。

5.インバウンドの副次効果

木村(司会)
「内なるグローバル化」に関連しますが、インバウンド観光の促進は日本人が海外の人に接する機会が増えるということであり、これは日本人にとってさまざまな側面で非常に影響があるように思います。

田中(高山市役所)
文化とか価値観が大きく異なる人と接することは自分を振り返ることにつながるんですね。私たちはこれでいいのか、と。今やっている商売の仕方はこのままでいいのか、自分が売っているものは外国人に魅力があるのか、自分の言っていることは正しいのか、そういったことを振り返るので、それをみんなでやっていったらいいのじゃないかと思います。その意味では、世界中どこの国からでも高山に来てほしいです。

木村(司会)
ある国からは来てほしいが、ある国は嫌だとかは?


高山市役所 ブランド・海外戦略部部長
田中 明氏

田中(高山市役所)
言語道断です。自分たちのなりわいをしていく上で必要なサービスはしっかり提供すること。しかもそれは外国人のニーズに合ったものでなければいけません。この基本的な姿勢は崩せないし、来訪者の国も年齢層も何も関係なく、そこは腹をくくってやるしかない。他の国の文化も知らなければいけないし、自分たちの歴史も知らなければいけない。そういう活動をするのが重要で、その意味では杉原さんのルートというのは、平和とか、民族とか、宗教とかを考えさせられる非常に良い題材だと思います。

砂田(日本貿易会)
私もたまたま、高山出身なのですが、今の話は実にうれしいですね。帰るたびに本当に外国人が増えているなと実感しています。ただ、その裏には住民の皆さん、自治体の皆さん、本当にたくさんの人が目に見えない取り組みをして、その努力があってこその今の姿なんだと、非常に頭が下がります。それと、先ほども出ていましたが高山だけではリピーターが生まれにくい、やはり自治体の広域連携をつくっていく、そういう方向に日本もかじを切っていくことが重要なんだと思います。

井上(蝶理)
内なるグローバル化という考えには大変共感しますね。グローバル化を和訳するのは難しくて、ある先輩に尋ねたら、「自分たちの国の歴史を相手の国の言葉で説明するのが第一歩だ」と言われました。なかなかできることではありませんが、日本人も単に「物を買ってください」だけで終わらせないという姿勢を持つことが大切だと思います。それと、2015年は日本から中国へ行く人の数が中国から日本を訪れる人の数に圧倒的な差で逆転された年なんですね。ただ、交流は双方向でないといけません。日本からも中国にもっと行ってほしいですね。その魅力をつくるためにもわれわれ商社は国の壁、心の壁を壊していくのも仕事だなと思っています。どうせ広域観光をするなら日本と中国を両方訪れるツアーを全世界のユダヤ系の人々に提案するのも面白いと思いますよ。実は杉原氏の発給したビザを手にしたユダヤ系の人々で、日本を出て上海に来た人々もかなりの数に上っているからです。

木村(司会)
国をまたがる広域観光ですか。スケールが大きくなってきましたね。

井上(蝶理)
インフラ整備といえば、中国のLCCと組んで日本のインバウンド開拓をすることも面白いと思います。中国のLCC大手の経営者と話す機会がありましたが、そのスケールの大きさに圧倒されました。インフラの不十分な地方空港に早朝や深夜に着く便しか出せないなら、その空港の隣にホテルをつくって空港とホテルは徒歩で移動してもらえばいいとか。LCCの経営者ですが、その発想は旅行会社のサービス全体がベースにあり、その「旅行会社」が自前の航空会社をつくったという考え方をしているんですね。空港から空港まで人を運ぶことが自分の仕事だとは決して思っていません。

砂田(日本貿易会)
創意工夫を凝らすLCCを利用することで外国人来訪者が増加し、最初はある特定の日本の文化コンテンツに引かれて来たものの、日本でさまざまな面白い経験をしてさらに日本に対する関心が深まって、日本ファンが増え、ひいては長く住んで働く外国人も増えるというような循環が生まれればいいですね。まさに「内なるグローバル化」につながっていく動きになります。

木村(司会)
もともと商社は「つなぐこと」や「広げること」が得意ですから、さまざまな視点から日本各地をつなぎ、訪日観光客の行動領域を広げて、より一層日本を楽しんでもらえるようになるといいですね。


6.蝶理のCSR活動と杉原千畝―現場で支えていた人々


木村(司会)
杉原氏は6,000人のユダヤ人を救ったことで有名ですが、御社においてはどのような仕事をされたのですか?

中山(蝶理)
モスクワ事務所長として勤務されました。英独仏露の4ヵ国語に堪能な卓越した語学力と7ヵ国に駐在された経験を活かしてロシア貿易業務を担当されました。大変物静かな方で、同僚にも、ご自身の過去をお話しされることは一切なく、皆、その功績を全く知らなかったそうです。

井上(蝶理)
ちなみに杉原千畝さんは中国ともご縁があるのです。敦賀に上陸したユダヤ人のビザは日本を通過するというビザでしたので、ずっと日本に残ったわけではなく、神戸や横浜から米国や豪州など日本の外に再び旅を続けたわけです。しかし、米国などに行ける人はお金を持っていて、保証人がいて、といった非常に恵まれた人たちだけで、そうでない人たちは早く日本から出なければいけないという切羽詰まった状態になり、その中で、上海は当時としては世界で唯一の自由港だったので、かなりのユダヤ人が上海に来たというわけです。もちろん、日本からだけでなく、ソ連国境からハルピン経由で上海に来た人、その他のルートで上海に来た人などがいました。第2次大戦が終わった時点で2万5千人のユダヤ人が上海にいたそうです。

今でこそユダヤ人はほとんどいなくなりましたが、当時はユダヤ教会もあって、そこが今は博物館になっています。私が着任した頃は、そこに展示されていた人々の写真の中で一番大きかったのが杉原さんの写真でした。杉原さんに関する本は上海のどこの書店でも手に入ります。

木村(司会)
私も映画を拝見しましたが、杉原さんの発給したビザを手にしただけで救われたのではないのですよね、ユダヤ系の人々は。「これはあくまでただのビザです。無事に逃げ切れる保証はありません。厳しい道のりとなるでしょう。ただ、諦めないでください」という杉原氏の言葉にビザを手にした後のユダヤ系の人々の大変さが表れていると思いました。

井上(蝶理)
私たちは元社員であった杉原千畝さんにどうしても注目してしまうのですが、忘れてならないのはユダヤ人救出では杉原千畝の他にも多くの日本人が関わっていたということです。映画にも登場していますが、何とかウラジオストクに到着したユダヤ人は、そこから船に乗って日本の敦賀港を目指すのですが、そこでユダヤ人に協力したのが、JTB職員でウラジオストク-敦賀間の客船乗務員だった大迫辰男さんたちでした。また、日本から米国までの客船でユダヤ人200人の食事の世話をした日本郵船元社員でコックをされていた今村繁さんはその後、ホテルオークラの宴会責任者となり、当社の役員歓迎食事会を仕切っていただいたことがあるのですが、その主賓が杉原千畝さんだった、というのも不思議なご縁を感じさせてくれる話です。

木村(司会)
2015年末は、くしくも商社が関係する「杉原千畝 スギハラチウネ」と「海難1890」の両方が公開されましたね。「海難1890」は1890年に和歌山県沖でトルコの軍艦エルトゥールル号が台風に遭い、座礁して多くのトルコ人乗組員が死傷する中、和歌山の漁民が命懸けでトルコ人乗組員を救出したこと、そしてそれから約100年後の1985年に、イラン・イラク戦争のためにイランから出国できない多くの日本人がいた時に、トルコ航空が自国民より日本人を優先してイランから救出したことを取り上げた映画で、この時は伊藤忠商事のイスタンブール支店長がトルコ大統領に相談したことがきっかけだったと聞いています。


蝶理株式会社 経営政策本部人事総務部 システム部担当兼業務効率化・経費削減プロジェクト担当執行役員
中山 佐登子氏

中山(蝶理)
戦後70年の記念の年に公開された2本の映画には、商社関連の他にも共通点があると思います。杉原さんも、トルコ人を助けた和歌山の漁民も、誰かからの命令や規則や手順に従ったわけではなく、心の中にボーダーを持たない人々が自分の判断で人の命を救うために行動したことがテーマであるということ。しかもそういう判断を下すことが非常に難しかった時代においてです。

そしてどちらも、杉原さんに救われたユダヤの人たちが戦後、感謝の声を上げたこと、100年前に祖先が救われたことを忘れず恩を返してくださったトルコの人たち、と、国内よりも海外がまずその行為を評価し、それから日本人がその偉業を知ってあらためて再評価し、映画をつくったという点です。人の道に従う人道主義というのは、極めてグローバルで、今の時代に合った考え方だと思います。


木村(司会)
御社のCSR活動の一環で映画製作にもご協力なさったわけですが、ご感想はいかがですか?

中山(蝶理)
あくまで副次効果ですが、CSR活動は社員やOBに対しても大変良い刺激になります。映画に協力する時も、若い社員には、杉原さんの偉業や蝶理に在籍されたことを知らない人もおり、世界的に偉大な先輩が当社にいたことを誇りに思ってくれたら、そして少しでも杉原さんのご功績を後世に伝えるきっかけとなればいいとも思いました。

が、思いがけない効果として、多くのOBが非常に喜んで、直接、杉原さんと働いた経験がある方たちが、その時の話を教えてくださったり、八百津やリトアニアの記念館を訪ねた写真や資料を送ってくださったり、自分で調べた結果を教えてくださったり、新たなつながりやきっかけが生まれました。杉原さんを通じて、世界が新たに広がった感があり、本当に良かったと思っています。

杉原さんが発行されたビザの原本などを世界記憶遺産に申請する動きもあり、蝶理として今後も関わっていきたいと考えています。

(2015年2月24日 於 日本貿易会 会議室)

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