最近のロシア情勢 ―ロシア下院選挙結果とその後の政治的混乱の背景

東京財団 リサーチ・フェロー
畔蒜 泰助

本稿は、2012年2月2日に開催された第276回日本貿易会ゼミナールの講演要旨を事務局でとりまとめ、講師のご校閲を頂いたものです。


1. はじめに


2011年12月4日に行われたロシア下院選挙の結果、プーチン与党の「統一ロシア」は450議席中の238議席を獲得し辛うじて過半数は維持したものの、前回から77議席を減らした。
選挙の翌5日には、選挙の不正を訴えるデモが起きた。その後、当局の承認の下に民衆による大規模なデモが12月10日と24日の2回行われた。当初、不正な選挙のやり直しなどを求めることがデモの主な目的であったが、その後徐々に反プーチンキャンペーン的な色彩が強まった。本日は、反プーチンキャンペーンの激化の流れには、どのような背景があり、ロシアの国内政治において何を意味するのかをお話ししたい。


2. 社会経済的な背景


今回のデモには、いくつかの社会経済的な背景がある。第1がインターネットの普及である。デモは、モスクワやサンクトペテルブルク等の大都市で発生し、参加者の主体は、知識層や中間所得層で、5万-6万人が集まったといわれている。法律家兼アクティビスト投資家のアレクセイ・ナバリヌイがデモを指導し、反プーチンキャンペーンの象徴的な人物として挙げられる。彼はブログを行っており、ブロガーといわれる人物がデモを指導し、その規模を大きくしているとみられている。
第2が経済危機後の所得の伸び悩み、物価高、生活格差の拡大や汚職の問題である。それらが、特に中間層の間で政府に対する不満の根源となっている。そうした不満がロシアにおける勝ち組の政党の「統一ロシア」の不正に向けられた。このような社会経済的な背景があり、反政府デモだけではなく、徐々に反プーチンデモの色彩を強めている。
一方、ロシア社会の中には民族問題も根底にある。特にコーカサス地方の人たちがモスクワに大量に流入してきている。ロシアは、労働人口の減少に伴い、中央アジアからの移民を積極的に受け入れており、彼らはモスクワやサンクトペテルブルクなどの大都市に集まっている。今回のデモには、こうした少数派の人たちが参加していないが、ロシア国内の民族問題的な部分にまで展開していたら、もっと厄介なものになっていただろう。幸いにして民族問題があまり関係しなかったが、ロシアの抱える社会経済的な背景の問題としてあることは念頭に置いておくべきである。


3. 下院選が始まる前の政治状況


デモの主因は、不正選挙に対する抗議であったが、徐々に反プーチンキャンペーン的なものに変わった。これには、社会経済的な背景とは別に大統領選に向けた政治的な背景がある。
メドヴェージェフ政権発足以降いわれてきたのが、メドヴェージェフは2期目も続投するのか、それともプーチンが返り咲くのかに関する疑念であった。プーチンもメドヴェージェフもそれに対しては一切確かなことは答えていない。実は当初、誰が大統領選に立候補するかは、下院選挙の結果後と予想されていた。ところが2011年9月24日、「統一ロシア」の党大会でメドヴェージェフ大統領がプーチン首相を大統領候補にすることを提案し、プーチンがこれを受諾した。それと同時に、当選した暁にはメドヴェージェフを首相にするという形で大統領職と首相職の交換宣言が出された。この発表の直後にクドリン財務相が、突然、メドヴェージェフ大統領が軍事費を大幅に増加させたと批判し、翌日更迭される事件が起きた。当時、この背景としてプーチンは、大統領に復帰した際にクドリンを首相にするとの信ぴょう性の高い密約をしていたのではといわれた。
プーチンが、メドヴェージェフあるいはクドリンを首相にするとの約束を二重にしていたかもしれないことを理解するためのヒントがある。「統一ロシア」の党首はプーチンであるが、今回の下院選挙にはプーチン自身は立候補せず、メドヴェージェフが同党の比例第1位に名を連ねていた。つまり、今回の下院選挙では、メドヴェージェフが陣頭指揮を執っていた。この下院選のさなかにプーチンは「メドヴェージェフを首相職に任命するためには下院選挙で統一ロシアが国民から十分な支持を得なければならない」と一度ならず発言していた。裏を返せば「国民から十分な支持を得られなければ、任命しないかもしれない」ということである。しかもモスクワの一部の人たちの間では、プーチンは今回の下院選で同党を積極的に支持しなかったとの情報が流れている。これらの話が事実なら、やはりクドリンとの約束があったとの仮説を生む。とすれば、下院選に入る前にロシア国内のタンデム体制ないし二頭体制には、相当深刻な亀裂が入っていたのではないかと推測できる。


4. プーチンとメドヴェージェフとの対立


プーチンとメドヴェージェフとの関係がどのような状態にあるのかを暗示する出来事をいくつか紹介する。
2010年8月末から9月初めにかけて、ノーボスチ通信が主催するヴァルダイ会議が開催された。例年、同会議でのメーンイベントはプーチンとの晩さん会で、海外からの専門家との質疑が行われていた。同会議の中では、これまでメドヴェージェフ大統領との対話の機会も設けられていた。しかし、会議期間の中ごろ、急きょ、ノーボスチ通信が、「ヴァルダイ会議の参加者でメドヴェージェフ大統領と会談がしたければ、同大統領主催のヤロスラブリ国際会議に参加してください」というアナウンスが行われた。当時ヴァルダイ会議に参加した多くの人は、このアナウンスを聞いてメドヴェージェフのプーチンからの独立宣言ではないかと受け取った。
その1ヵ月後、ユルゲンス現代発展研究所所長が、ロシアの有力新聞「コメルサント」に「プーチンは退場すべきだ」というインタビュー記事を載せた。現代発展研究所は、ヤロスラブリ会議が主催する組織で、同会議の会長であるメドヴェージェフとユルゲンスとは表裏一体の関係にある。インタビューの中で、ユルゲンスは「プーチンは大統領として素晴らしい仕事をし、安定をもたらしたが、安定化を永遠に長引かせたら、それは停滞(stagnation)につながる。近代化に向けた努力が必要であり、それはメドヴェージェフの仕事である」と述べた。
2010年9月ごろから、このようにメドヴェージェフのプーチンからの独立に向けた本格的な動きが始まっていたと思われる。メドヴェージェフがプーチンとのタンデム体制の中で独自性を発揮できる分野は、大統領の権限としての外交分野である。2010年秋以降のメドヴェージェフの国後訪問をめぐる騒動もこのような文脈の中でこそ理解できる。
これまでのタンデム体制の下、外交分野でプーチンとメドヴェージェフが決定的に対立し、両者の意見の違いが公然と明らかになった出来事があった。それはリビア問題であった。2011年3月、米国がリビアへの軍事介入に直結する飛行禁止区域の設定に関する決議を国連安保理に提出したところ、メドヴェージェフはこれを否決せずに棄権した。これを受けて、有志軍がリビアに対する空爆を開始した。それに対してプーチンは、この国連安保理決議には欠陥があるとし、同空爆を中世時代の十字軍の要請を想起させると激しく批判した。彼が批判したかったのは別にあり、空爆を容認してしまったメドヴェージェフに対する批判だと思って間違いない。その証拠に、メドヴェージェフは、このプーチン発言に対して「いかなる状況下でも十字軍など文明の衝突につながるような表現を使うのは容認できない」と述べ、この時点でプーチンとメドヴェージェフの対立が決定的に表面化したといえる。
経済分野では、停滞と近代化の二項対立がある。プーチン=停滞、メドヴェージェフ=近代化という図式をメドヴェージェフ陣営が反プーチンキャンペーンとして仕掛け、プーチンを引きずり下ろそうとした。その流れの中で、メドヴェージェフは徐々に外交分野で独自性を発揮していく。今、民衆による大規模デモが発生しているが、その反プーチンキャンペーン的な色彩の激化の背景には、プーチンとメドヴェージェフとの深刻な対立がある。


5. プーチンに退場してほしいと思っている人々


プーチンに退場してほしいと思っている人々は、メドヴェージェフの支持派だけではない。それは実は米国にもいる。オバマ政権における大きな外交上のアジェンダに米ロのリセットがある。これは、オバマ政権が特にイラン核問題でロシアの協力を得るために推進した政策である。オバマ政権は、グルジア戦争で悪化した米ロ関係を立て直し、イランの核開発問題でロシアとの協力関係をもう一度復活させる形で、米ロのリセット政策を推進した。
この米ロのリセット政策を事実上取り仕切ったのが、米国のスタンフォード大学教授からナショナル・セキュリティ・カウンシル(NSC)のロシア・ユーラシア問題担当大統領補佐官に就任したマイケル・マクフォールである。ワシントンでは、イラン攻撃論などを声高に唱える米ネオコン派の人たちとマクフォールが緊密な関係にあることがよく知られている。その彼が「本当の米ロのリセットはプーチンが政権にいる限りは不可能」とメドヴェージェフ大統領に会うたびにささやいたという。そうすることで、メドヴェージェフをして、プーチンからの独立を促す作戦を行ったとみられる。「ロシアの近代化と米ロのリセットは、あなたしかできない」と周囲からささやかれたメドヴェージェフがその気になったのもやむを得なかったかもしれない。


6. 3月の大統領選の向けての動き


つまり、2012年3月の大統領選を目前に控え、反プーチンキャンペーンが激化しているが、その背景にはロシア国内のエリート、特にメドヴェージェフの支持派の反プーチンキャンペーンへの加担があるということである。
一方、プーチンは、大統領選に出馬するに当たり、ユーラシア連合構想を掲げている。2012年1月1日から関税同盟をベースにしたロシア、ベラルーシ、カザフスタンの3国による統一経済圏がスタートした。これはプーチンの構想の核となるものが実質的に動き出したものといえる。リーマン・ショック後の世界経済危機に関するプーチンの政策を読むと、「これから経済的にも難しい時代になる」ということを強調している。「難しい時代になる」というのは、米国や英国が主導してきた金融中心のグローバリゼーションの時代が終わり、事実上のブロック経済圏が各地に発生する時代に入ったというのが、おそらくプーチンの考えの根底にあるのだろう。プーチンは、例えばTPPの問題も米国を中心とした一種のブロック経済圏の動きと捉える。ロシアは、これに対抗してベラルーシとカザフスタンとの経済を一体化する構想を掲げ、これを核に経済危機を乗り切ろうというのである。しかし、このようなソ連邦の復活につながる動きを最も嫌うのが米国のネオコン派やマクフォールである。彼らもプーチンには退場してほしい、あるいは退場させることができなくても、その基盤を何とか弱体化させた形で政権のスタートを切らせたいと願っている。
大統領選におけるプーチンの支持率は、一時的に50%を割ったが、その後徐々に回復し、 50%を超えてきている。プーチンは、自分の政権基盤を盤石な形でスタートさせるために第1回投票での勝ち抜けを目指しているが、第2回投票にずれ込む可能性も意識している。


7. おわりに


次期プーチン政権では、世界がブロック経済化の時代に突入するとの認識の下、ユーラシア連合構想の実現に本格的に着手すると宣言した。下院選後の反プーチンキャンペーンの根底には、そのようなプーチンの再登板を望まず、むしろメドヴェージェフ政権の継続を仕掛けていた国内外諸勢力によるプーチン弱体化の狙いがある。
メドヴェージェフがモスクワ大学で講演をした際「プーチンが大統領選に当選できるかどうかは、結果を見てみないと分からない。街中でデモに参加している人々の一部は、私がもう一度2期目の大統領をやることを支持している人たちだ」と述べている。
これに対するプーチン側の反応を見ると、プーチンの大統領選キャンペーンの責任者が「メドヴェージェフ大統領は、プーチンの大統領選のキャンペーンをもっと支援するべきである」という発言をしている。これは明らかに、3月4日の大統領選に向けたプーチン陣営とメドヴェージェフ陣営の足並みがそろっていないことを示している。
大統領選で注目されるのは、プーチンの勝利が3月4日の第1回投票で決まるのか、それとも第2回目の投票にずれ込むかである。プーチンとジュガーノフとの決戦になれば、最終的にはプーチンが勝つことを疑う人は誰もいない。ただ、ユーラシア連合構想も含めてプーチンが掲げるさまざまな政策課題の推進力は、プーチンが1回目に当選するか、2回目に当選するかで違ってくる。
首相職については、プーチンが言ったのだから、メドヴェージェフが指名されるとの見方が現時点では有力であるが、その任期は長くなく、場合によっては政権のスタート時点からメドヴェージェフが外される可能性もゼロではない。そうなった場合、金融財政問題のプロであるクドリン前財務相が首相として復活する可能性もある。

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