人材多様性で強い組織に

法政大学 キャリアデザイン学部教授
武石 恵美子

経営戦略としてのダイバーシティ推進

経営において「人」という資源は大きな潜在力を秘めている。能力を開発することによってさまざまな経営環境に柔軟に対応することができ、働く意欲を高めることによって予想外の成果を挙げることもできる。これまで日本の企業は、この人的資源の開発や従業員のモチベーションを上手にマネジメントしながら、経営的な危機を何度も乗り越え、強い経営体質をつくり上げ、国際的な競争力も高めてきたと評価できる。

しかし、その日本企業で人的資源が有効に活用されないという問題が生じている。人口構造の変化や経済のグローバル化など社会経済の構造変化が起こり、従来型の人材の育成や能力発揮のための取り組みが機能しないという状況になってきた。働く人自身も変化し、働く女性の増加やそれに伴う共働き世帯の増加、高齢化に伴う働く高齢者の増加や介護責任の増大、技術等の急速な変化に対応するための自己啓発へのニーズの高まりなど、働く場において対応が求められる事情が増えてきた。

人材の多様性=ダイバーシティの推進は、さまざまな事情を抱えた人材がその事情故に排除されることなく組織の中に存在すること、さらにそれだけにとどまらず、多様性に富む人材が個々の能力を発揮できるような職場の構造・風土に転換することによって、市場対応力を高めガバナンスの健全化を図るといった組織にとってのメリットにつながること、が期待されている。「ダイバーシティ&インクルージョン」として取り組みを進める企業も多いが、「インクルージョン」には、多様性を受け入れるための組織変革の意味合いが込められている。人材の多様性を進めること自体が目的なのではなく、その人材が生む企業価値への期待が、ダイバーシティ推進の原動力となっている。

実際に、ダイバーシティを進めることによる経営効果の事例は多い。例えば、女性建築士による建築デザインが地域で高い評価を受け、女性の活躍を支えるために時間制約のある社員をチーム制にして設計業務を行うことで成果につなげた事例(有限会社ゼムケンサービス、従業員数8人)。男性熟練工が使用していた機具を女性社員が使えるように改良して、新たな市場を開発した事例(㈱光機械製作所、従業員数91人)。てんかんの症状のある社員の転倒時の頭部保護のために開発した帽子が、入院患者のリハビリや電気・ガスの点検社員のための安全帽として利用されるなど、多様な用途での需要が生まれた事例(㈱特殊衣料、従業員数165人)、などがある(事例は、経済産業省ダイバーシティ経営企業100選より)。

ダイバーシティ経営というと、大企業の取り組みと考えられがちであるが、多様な人材がそれぞれに個性を発揮しやすい風土があれば、中小企業こそ多様性を企業価値につなげやすいという面もある。企業規模を問わず、経営戦略として取り組む意義がある。反対に、特定の属性やライフスタイルの人材を排除する組織に対して、投資家や消費者が厳しい判断をするケースもある。米国では、性的マイノリティを差別した企業の製品の不買運動が起こったケースもあり、企業が多様なライフスタイルを受容していく姿勢を示すことが、企業の社会的評価を高めることにも注目すべきである。

多様性とは何か

ところで、人材の「多様性」とはなんだろうか。分野は異なるが、地球の生物の多様性を保全することが人類にもさまざまな恵みをもたらす、といった観点から国際条約も発効されている「生物多様性= Biodiversity」の議論を参照しながら考えてみたい。

「生物多様性」の議論では、生態系、種、個体(遺伝子)という三つのレベルで多様性が捉えられている。これを、人材の多様性に当てはめてみよう。「ダイバーシティ」というと、性別や年齢、人種など属性面での多様性、つまり「種」の多様性に注目しがちであるが、同時に「個体」の多様性、つまり、男性の中の多様性、外国人の中の多様性、といった側面を認識することが重要だろう。

例えば、女性の活躍推進に取り組む企業で、「女性の感性や特性を活かして○○の分野で活躍を進めている」と胸を張って語る経営者がいるが、この言葉には違和感を覚えることが多い。「女性の感性や特性」とはなんだろう。女性と男性はそんなに違うのだろうか。生活者の視点、子育ての経験ということであれば、生活者・子育て経験のある男性なら同様の感性や視点を持っているはずである。私が感じる違和感は、「個体」の違いを「種」の違いにすり替えた議論が多いからだと思う。

「個体」の多様性は、同じ「種」の中でも遺伝的に多様な個体が存在することであり、それによって環境の変化があっても、「種」としての適応性が高くなるという。例えば、同じ遺伝子の農作物を作れば管理はしやすいが、その遺伝子が苦手な病害虫などの外敵が登場すると全滅してしまう。遺伝子的多様性は、異なる環境に置かれたときの適応という観点から重要であるとされ、「近親交配」が生じるようになると減少するとされる。

生物多様性の重要性の議論は、人材の多様性を考える上で、示唆に富むことが多い。組織における多様な社員の存在は、経営環境が変化し、その変化が読めない状況だからこそ、組織がそれに適応して生き残る、さらにイノベーションにつなげるために、不可欠になっている。同じようなタイプの人材が次世代を採用・育成(近親交配)すると、多様性を減じてしまう。

人事管理において、「種」の多様性に注目することは、人材の多様性の重要性への気付きとして、もちろん重要である。なぜ高齢者や女性、外国人が活躍できないのか、という視点から現状を捉えることによって、特定の属性の人たちを取り巻く状況、課題を明らかにし、次の展開につなげることができるからである。しかし同時に、属性の違いを超えて個々人の能力や持ち味の多様性、すなわち「種」の違いを超えた「個体」の多様性に光を当てることも重要なのではないだろうか。「高齢者だから・女性だからこの分野で活躍してもらう」ということでは、ダイバーシティ推進は中途半端なものになる。高齢者と若年者、男性と女性を、別の「種」と捉えていると、その違いを包含していく「インクルーシブ」な視点は薄れてしまう。「個々人=個体」がそれぞれに多様であることを受け入れることが重要であろう。

ダイバーシティ推進の課題

ダイバーシティ推進は、経営にとってメリットがあるからこそ、経営戦略、そこから落とし込まれた人材戦略として推進する企業が増えている。しかし、人材の多様化を進めれば、必ず経営的なメリットが生まれるのかといえば、必ずしもそうとはいえない。

多様な人材が組織に中にいることは、一言でいうと「面倒くさい」ことが多くなる。職場の中で、多様な意識や価値観をまとめるのはたやすいことではない。相互のコミュニケーションに齟齬を来さないように、丁寧なやり取りが必要になる。多様な意見を聴こうとすると、意見を調整するためのコストが掛かる。それぞれに事情がある人材がそれを乗り越えて活躍するためには、そのための支援策や職場マネジメントの対応などが必要になることも多い。そうした支援策の利用が、施策を利用しない社員にとって不公平感を生み、組織の中で人間関係が悪くなるといった事態につながることもある。

とりわけ、均質的な労働者を画一的にマネジメントすることにより、組織運営の効率を高め、構成員の一体感を醸成しながらパフォーマンスにつなげてきた多くの日本の企業組織において、ダイバーシティの重要性について理解はされても、それを活かす組織運営につなげようとすると、現場レベルでさまざまな反発や抵抗が生じることが多い。ダイバーシティ推進の「面倒くささ」を克服することのハードルが高く、元の同質な組織に戻ろうとする力が大きくなってしまうことがある。

そうなると、経営戦略の一環として進めてきた取り組みが頓挫してしまうことになる。ダイバーシティが簡単に推進できるのであれば、その必要性を理解すればすぐにかじを切ることができるはずなのだが、多くの企業では、経営層や人事部門で方針を決めても、現場への浸透が進まないのは、これまでのやり方を大きく変えなければならない部分が大きいからである。

ダイバーシティ推進のために

ダイバーシティ推進を企業価値につなげるためには、こうした問題に丁寧に対応しながら、取り組みの意義を社員全体で共有することが不可欠となる。取り組みを進めていくと、現場ではきめ細かい対応が必要になったり、社員同士の葛藤を調整する事態が生じる。それぞれの問題を解決することは重要だが、同時に、相互の認識の違いから生じた意見の対立はまさにダイバーシティの醍醐味となる場合もあることから、そうした意見の違いを活用することも必要になっていく。

ダイバーシティの中でも日本企業が熱心に取り組んでいる女性活躍推進を例に挙げると、営利を追求する企業組織において、女性の活躍推進を、従業員福祉の観点、あるいは人権重視といった社会的な観点のみから取り組もうとすると、こうした現場の壁を崩すことは難しい。また、単に女性を増やす、女性の管理職登用を進める、というだけでは現場は動かない。女性の定着を図ること、女性の昇進機会を増やすことが、わが社にとってなぜ必要なのか、現場の問題認識に寄り添いながら、経営的な視点を持って現場へ浸透させることが肝要である。

企業が多様な人材の活躍を進める組織に変革しようとするとき、何よりも重要なのは、ダイバーシティ推進がなぜ必要なのか、という認識を組織の構成メンバーで共有することである。そのためには、トップの明確なメッセージ発信が不可欠となる。トップがこの問題に強くコミットして、その姿勢を社の内外に示すことが重要である。経営戦略から落とし込まれた人事戦略に関わる取り組みは、ボトムアップで進めようとしても、うまくいかない。トップの強力なリーダーシップの下で、トップダウンで進めることが肝要である。

人事戦略が明確になれば、それがさまざまな制度、施策に落とし込まれることになる。そのために必要な施策は各社の現状や課題によって異なる。自社の現状を把握し、必要な対応を、制度面だけでなく職場マネジメントといった職場レベルにおいても丁寧に進めていくという地道な取り組みが求められる。

「ダイバーシティ推進」というのは聞き心地の良いキャッチフレーズではあるが、その実現のためにはさまざまな課題があることを直視し、障害を一つ一つ取り除きながら異質性を活かす強い組織への転換が必要な時代になっている。

人材多様性で強い組織に 誌面のダウンロードはこちら