経済のグローバル化とコロナ危機

慶應義塾大学 経済学部教授
東アジア・アセアン経済研究センター チーフエコノミスト
木村 福成

1. 強靱(きょうじん)だったグローバル化の流れ

モノ、カネ、人、さらには資本、技術、経営ノウハウ、アイデアの国境を越えた移動が拡大・深化することを「経済のグローバル化」と呼ぶこととしよう。輸送技術やデジタル技術の進歩により、国際分業形態と国際取引チャンネルは着実に多様化してきた。経済のグローバル化が進めば、それぞれの国・地域の持つ立地の優位性をさらに精緻に利用できるようになる。しかし一方で、事業を国際展開すれば、物理的距離を克服するコストと追加的な不確実性が発生する。分業の利益の享受とそれに伴うリスクの管理、これが商社を含む国際間取引に関与する企業が常に直面してきた問題である。

新型コロナウイルス感染が人の移動によって拡散していったことは明らかで、その国際伝播(でんぱ)の速さはまさに経済のグローバル化がもたらしたものといえる。そしてわれわれは、まずは人の移動を制限することによって感染拡大の制御を試み、並行してワクチンの開発・接種を行ってきた。ある論者は経済のグローバル化が進行する時代は終わり、これからは内向きの重力が優勢となると予言した。しかし、結果はどうだったか。新型コロナは変異株が猛威を振るってまだ感染を拡大しており、引き続き人の移動は制限されているが、経済のグローバル化は決して後ずさりしなかった。将来、歴史家が今回の危機を振り返った時、経済のグローバル化の趨勢(すうせい)は強靱だったと結論付けるだろう。

新型コロナとそれに対抗する保健医療政策はグローバル・バリューチェーン(GVCs)に三つのショック、すなわち負の供給ショック、正の需要ショック、負の需要ショックをもたらした。過去、世界金融危機では負の需要ショックが優勢で、東日本大震災と原発事故は典型的な供給ショックの源泉となった。今回の危機は3種のショックが場所と時間を違えて起きてきたという特徴がある。

最初にやってきたのは2020年2月、中国からの部品・完成品輸入が滞るという負の供給ショックだった。さらに感染が各国に広がると、マスク等の医療関係品その他に正の需要ショックが生じ、一部の国は自国消費を優先するための輸出制限措置等を導入した。日本では、米中デカップリングへの懸念と相まって、中国への過度の生産集中の危険性が叫ばれた。経済産業省によって自国への生産回帰(reshoring)と東南アジア等への分散を促す2種の補助金の導入が決まったのも、このタイミングであった。しかし実は、中国からの輸入途絶はわずか1ヵ月で終了し、医療関係品等の供給を巡るパニックも民間企業の生産拡大によって早期に解消された。その後も、各国でロックダウン等が施行されることにより負の供給ショックが発生しているが、ほとんどは規模が小さく、かつ短期で回復に向かっている。

最も心配されたのが、世界全体が不況に陥ることによって生ずる負の需要ショックであった。これが最も長い期間にわたって経済全体に影響を及ぼす危険性の高いショックであり、長引けば既存のGVCsを本格的に見直す必要も生じてくる。しかし今回は、各国が導入した大胆な緩和政策が功を奏し、金融部門の破綻も資産市場の暴落も起こらなかった。貿易データを見れば、多くの品目で価格が下がり数量も低下するという典型的な負の需要ショックの証拠が残っている。しかし、マクロ経済と貿易の底はだいたいどの国でも2020年第2四半期であり、その後は全体としては反転している。

加えて経済回復の追い風となったのが、リモートワークやステイホーム関連品に対する正の需要ショックである。パソコン、ディスプレイ、各種通信関係機器、電動皿洗い機などに対する需要は2020年央以降世界中で拡大し、東アジアの欧米向け輸出の回復に大きく寄与した。現在の半導体不足の主要因もこの正の需要ショックと考えられる。

かくして、人の流れが止まっても、生産、ビジネスのつながりが大きく後退することはなかった。特にGVCsのうち精緻な生産システムをつくり上げている国際的生産ネットワーク(IPNs)内の貿易は通常の貿易以上にロバスト(途切れにくく)でレジリエント(途切れても回復しやすい)だった。商社および民間企業は、コロナ危機以前から、分業の利益とリスク管理のトレードオフを考慮しつつ、GVCsを設計・運用してきた。今回の危機で見直すべき点もあるだろうが、突然「ジャストインタイムからジャストインケース」にパラダイムシフトしたわけではない。

2021年9月現在も変異株がアジア諸国を含め多くの国で猛威を振るっており、まだまだ予断は許されない。K字型回復といわれるように、対面サービス、観光、輸送など特定部門では難局が続く。また、各国でワクチン接種のタイミングが異なることにより、経済回復、緩和措置縮小のタイミングがずれ、それが新興国・途上国に悪影響を与える可能性があることには、引き続き注意が必要である。しかし、経済のグローバル化の流れは今後も続いていくだろう。

2.デジタル化の加速

デジタル技術の導入は先進国のみならず新興国・途上国においても加速した。特に注目されるのが、人の移動が制限される中での通信技術(CT)利用の拡大・深化である。

新興国・途上国のデジタルトランスフォーメーション(DX)は、2015年ごろを境に、インターネット、スマートフォンの普及拡大に伴う比較的単純なマッチングビジネスを中心とする第1フェーズから、伝統的諸産業の再活性化あるいはアップグレーディングにまで踏み込む第2フェーズへと転換した。今回も、単に店頭でのショッピングの代替にとどまらない電子商取引、輸送サービスと提携しながらのデリバリーサービスの拡大、保健医療や教育分野へのCT導入、さらにはe-governmentやデジタルIDの導入など、政府サービスを含む他分野の業態変革にデジタル技術が用いられる動きが目立つ。新興国・途上国の技術水準は先進国と比べれば大きく遅れている。しかし、困り事がたくさんあること、規制体系が複雑化していないこと、既得権益者が強大でないことなど、デジタル技術の実装(deployment)に関しては先進国よりも容易に進められる面もある。それが新興国・途上国のキャッチングアップあるいはリープフロッギングの可能性を示唆している。

国際分業という文脈では、人が移動できない中でのGVCsオペレーションの中でもCTの利用が大幅に強化された。これにより、今後もICTs内の複雑な工程間分業が生き残っていくための一つのプラス要素が加わった。また、このコロナ危機は本格的な「第三のアンバンドリング(一つのタスクを国境を越えて個々人が分業する)」時代の幕開けとなったのかもしれない。いったんリモートワークを始めたら、間に国境があろうとなかろうとそれほど大きな違いはない。適切な仲介者さえいれば、国境を越えてさまざまなサービス供給を行い、国際間の大きな賃金格差を利用できる。日本でも、駅前の英会話教室に代わって、セブ島発のインターネット英会話教室がブームとなった。このような形態の国際分業がどのくらい大きくなっていくのか注目したい。

3.国際貿易秩序を揺るがすもの

GVCs、とりわけ精緻なリンクを展開しているIPNsが成立するための重要な1条件である「ルールに基づく国際貿易秩序」は、多方面から揺さぶりを受けている。

米中対立は、貿易摩擦から始まり、安全保障問題、さらには超大国の技術覇権を巡る争いへと激化してきた。他国のビジネスパートナーも巻き込みながら主要なサプライチェーンを切り離そうとするデカップリングの動きは、米中双方から始まっている。一方で、コロナ危機をいち早く克服した中国経済は相対的に好調であり、米国企業にとっても中国ビジネスは引き続き重要である。日本貿易振興機構(JETRO)の『世界貿易投資報告2021年版』によると、日本の輸出入では中国との貿易がコロナ危機からの回復をけん引しており、日本企業の海外現地法人(製造業)の売上高も中国立地のものが群を抜いて成長している。日本企業としてはデカップリングしなければならない業種、品目、技術を明確にしてもらえると助かるわけだが、一方で米国側にはそれを不明確にしておいた方が得策と考える向きもあり、なかなか難しい。さらにバイデン政権下では人権問題も貿易とリンクされるようになった。新疆綿の調達など目配りしなければならない政治の論理が拡大してきている。本稿執筆時点での直近のニュースでは、米国による豪州への原子力潜水艦建造技術の供与、中国のCPTPP加盟申請が伝えられている。今後、国際通商環境が大きく変わっていく可能性もある。

また、欧州等における環境問題への関心は新型コロナによってさらに高まった。石炭をはじめとする化石燃料の使用に対する圧力は急速に強まり、製造業を強みとし化石燃料への依存度の高いアジア諸国は、今後対応に苦心することとなろう。欧州連合(EU)では炭素国境調整措置導入の動きも進んでいる。貿易に関してもさまざまな制限が設けられていく可能性が高い。

ルールに基づく国際貿易秩序も、安全保障、人権、環境といった政治あるいは信条の論理の前には無力であるように思われる事態が生じてきている。しかし何もできないわけではない。国際通商政策は、経済学でいえば自由な貿易・投資による効率性向上、法的にはルールの安定性を価値基準としている。安全保障、人権、環境に関する政策は他の政策目的の上に成り立っているわけで、国際通商政策の考えるべきことは他の価値基準の下での政策といかに折り合いをつけていくかである。国際通商政策の立場からは、他の政策目的を名目とする保護主義的措置の乱用を防ぎたい。そのために、他の政策目的のための政策がその本来の目的にかなったものなのかどうかを検討し、またそれが目的にかなったものだったとしても過度に貿易制限的あるいは差別的待遇となっていないかを確認することが必要である。それによって通商ルールからの逸脱を全て防げるわけではないが、ルールに基づく国際貿易秩序をできる限り守っていくためには、国際通商政策の論理を貫いていくことも意義ある行動であろう。

4.終わりに

新型コロナ危機はまだ終わらない。ウィズコロナの状況は意外と長引くかもしれない。しかし、経済のグローバル化は続いていく。企業はその流れに積極的に乗ってビジネスを展開し、人々の生活を豊かにしていかねばならない。この30年来、高齢化を口実に活力を失っている日本経済であるが、われわれを取り巻く世界経済、とりわけアジア経済はダイナミズムにあふれている。商社の創造的な事業展開に期待するところは大きい。そして、難しい地政学的状況の下、政府には、良好な事業環境とりわけルールに基づく国際貿易秩序をできる限り守っていくことが求められている。

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